文明開化のムード漂う「明治トンネル」
日本初の銭取りトンネルが静岡に!
静岡市に、「宇津ノ谷」という小さな集落があるのをご存じでしょうか。
静岡市から藤枝市岡部町へ向かう、国道1号バイパス沿いに「道の駅 宇津ノ谷峠」があり、その裏にある脇道へ入って車で2分ほど。
まるでその一帯だけ時が止まっているかのような、懐かしい街並みに出逢えます。
歴史情緒を感じさせる、木造瓦屋根の家並みと石畳の道。今回の主役は、この風情ある集落に残る、価値ある近代遺産「明治のトンネル」です。
豊臣秀吉公ゆかりの旧東海道
主役登場の前に、宇津ノ谷に眠る歴史を少し。
旧東海道が通う宇津ノ谷は歴史的に交通の要衝であり、多くの貴重な遺産が残る地域です。
家の看板を昔のままにしているお宅も多く、往時を忍ばせる景観づくりにひと役買っています。
国土交通省「美しいまちなみ賞」優秀賞にも選ばれている。
少し話が飛びますが、前述の道の駅に、ある登山道の入口があります。それは平安時代の歌物語である『伊勢物語』にも登場する峠道「蔦の細道」。
この写真は藤枝市側登山口。「つたの細道公園」内。
つまり。宇津ノ谷峠は平安時代にはすでに、人々に広く知れ渡った地だったということ。それも難関の要衝として。
豊臣秀吉公の時代には、現在の旧東海道が整備されました。旧東海道よりも険しく狭い蔦の細道は次第に使われなくなり、いったん廃道と化しましたが、昭和40年代に復元されたそうです。
……すごいですよね。平安時代に使われていた道が復元とはいえ、いまも残っているのです。
しかしその程度で驚くにはまだ早い。じつは秀吉公が立ち寄った証まで現存しているのです。
秀吉公が立ち寄ったお羽織屋
秀吉公の羽織が現存する「お羽織屋」。秀吉公は小田原征伐の際、休憩のためにこの家に立ち寄りました。
当時この家に住んでいた主人、石川忠左衛門は、難関の峠越えを終えた秀吉公に馬用のわらじを差し出し、秀吉公を喜ばせたそうです。
秀吉公はその褒美として、忠左衛門に自らの陣羽織を与えました。以来、ここは「お羽織屋」と呼ばれるようになったのです。
陣羽織はお羽織屋に現存、展示されています。秀吉公が実際に身につけていたものです。国宝級といっても過言ではないのでは……。
陣羽織以外にも、徳川家康公から贈られた茶碗など、歴史的価値の高いものが残っています。
※お羽織屋は現在、諸事情により見学不可。屋内への立ち入りは避けてください。
さて、そんな宇津ノ谷。旧東海道が整備されても峠越えは旅人にとって、やはり骨が折れるポイントだったようです。
その状況が劇的に変わったのは、明治時代。文明開化の後押しを追い風に、トンネルが開通したのです。
宇津ノ谷隧道、通称「明治のトンネル」
歴史ロマンに浸りつつ、知識を吸収しながら石畳を歩くこと約10分。辿りついたのはコチラ。
国の登録有形文化財、明治宇津ノ谷隧道。通称「明治のトンネル」。
坑道ランプが照らす赤煉瓦の内壁が、幻想的なムードを醸しだしています。
なぜ年号を冠しているかというと、周辺に大正、昭和、平成に計画・建造されたトンネルがあるからです。国道1号バイパスのトンネルは昭和と平成。大正のトンネルは県道側にあります。
大正時代に建設開始、昭和初期に竣工・開通した大正トンネル。
明治のトンネルは1876年、日本初の有料トンネルとして開通しました。当時は木造建築でしたが、1896年、カンテラの失火によって崩落。1904年に修復が完了し、いまの状態になったのです。
この価値ある建築は、峠越えに要する時間を劇的に短縮し、東西の流通事情を変化させました。明治における文明開化の雰囲気をいまに伝える、貴重な産業遺産として必見です。
蔦の細道と旧東海道、そして宇津ノ谷隧道。旅人の足跡をたどる小旅行へ、ぜひ出掛けてみてください。
終わりに。
このトンネル、じつは「天城トンネル」同様、心霊スポットとしても知られています……。夜は近づかないようにしましょう。
なにを隠そう、筆者はその恐怖を体験済みですので……。