文明開化のムード漂う「明治トンネル」
日本初の銭取りトンネルが静岡に!

  • posted.2017/01/31
  • Takashi
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文明開化のムード漂う「明治トンネル」 日本初の銭取りトンネルが静岡に!

静岡市に、「宇津ノ谷」という小さな集落があるのをご存じでしょうか。

静岡市から藤枝市岡部町へ向かう、国道1号バイパス沿いに「道の駅 宇津ノ谷峠」があり、その裏にある脇道へ入って車で2分ほど。

まるでその一帯だけ時が止まっているかのような、懐かしい街並みに出逢えます。

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歴史情緒を感じさせる、木造瓦屋根の家並みと石畳の道。今回の主役は、この風情ある集落に残る、価値ある近代遺産「明治のトンネル」です。

豊臣秀吉公ゆかりの旧東海道

主役登場の前に、宇津ノ谷に眠る歴史を少し。

旧東海道が通う宇津ノ谷は歴史的に交通の要衝であり、多くの貴重な遺産が残る地域です。

家の看板を昔のままにしているお宅も多く、往時を忍ばせる景観づくりにひと役買っています。

meijitonneru_2国土交通省「美しいまちなみ賞」優秀賞にも選ばれている。

少し話が飛びますが、前述の道の駅に、ある登山道の入口があります。それは平安時代の歌物語である『伊勢物語』にも登場する峠道「蔦の細道」。

meijitonneru_3この写真は藤枝市側登山口。「つたの細道公園」内。

つまり。宇津ノ谷峠は平安時代にはすでに、人々に広く知れ渡った地だったということ。それも難関の要衝として。

豊臣秀吉公の時代には、現在の旧東海道が整備されました。旧東海道よりも険しく狭い蔦の細道は次第に使われなくなり、いったん廃道と化しましたが、昭和40年代に復元されたそうです。

……すごいですよね。平安時代に使われていた道が復元とはいえ、いまも残っているのです。

しかしその程度で驚くにはまだ早い。じつは秀吉公が立ち寄った証まで現存しているのです。

秀吉公が立ち寄ったお羽織屋

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秀吉公の羽織が現存する「お羽織屋」。秀吉公は小田原征伐の際、休憩のためにこの家に立ち寄りました。

当時この家に住んでいた主人、石川忠左衛門は、難関の峠越えを終えた秀吉公に馬用のわらじを差し出し、秀吉公を喜ばせたそうです。

秀吉公はその褒美として、忠左衛門に自らの陣羽織を与えました。以来、ここは「お羽織屋」と呼ばれるようになったのです。

陣羽織はお羽織屋に現存、展示されています。秀吉公が実際に身につけていたものです。国宝級といっても過言ではないのでは……。

陣羽織以外にも、徳川家康公から贈られた茶碗など、歴史的価値の高いものが残っています。

※お羽織屋は現在、諸事情により見学不可。屋内への立ち入りは避けてください。

さて、そんな宇津ノ谷。旧東海道が整備されても峠越えは旅人にとって、やはり骨が折れるポイントだったようです。

その状況が劇的に変わったのは、明治時代。文明開化の後押しを追い風に、トンネルが開通したのです。

宇津ノ谷隧道、通称「明治のトンネル」

歴史ロマンに浸りつつ、知識を吸収しながら石畳を歩くこと約10分。辿りついたのはコチラ。

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国の登録有形文化財、明治宇津ノ谷隧道。通称「明治のトンネル」。

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坑道ランプが照らす赤煉瓦の内壁が、幻想的なムードを醸しだしています。

なぜ年号を冠しているかというと、周辺に大正、昭和、平成に計画・建造されたトンネルがあるからです。国道1号バイパスのトンネルは昭和と平成。大正のトンネルは県道側にあります。

meijitonneru_7大正時代に建設開始、昭和初期に竣工・開通した大正トンネル。

明治のトンネルは1876年、日本初の有料トンネルとして開通しました。当時は木造建築でしたが、1896年、カンテラの失火によって崩落。1904年に修復が完了し、いまの状態になったのです。

この価値ある建築は、峠越えに要する時間を劇的に短縮し、東西の流通事情を変化させました。明治における文明開化の雰囲気をいまに伝える、貴重な産業遺産として必見です。

蔦の細道と旧東海道、そして宇津ノ谷隧道。旅人の足跡をたどる小旅行へ、ぜひ出掛けてみてください。

終わりに。

このトンネル、じつは「天城トンネル」同様、心霊スポットとしても知られています……。夜は近づかないようにしましょう。

なにを隠そう、筆者はその恐怖を体験済みですので……。

静岡県が誇る〇〇遺産!

明治のトンネル(明治宇津ノ谷隧道)

住所:〒421-0105 静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷
アクセス:JR静岡駅よりバス中部国道線藤枝駅前行きで約35分、宇津の谷入口下車、徒歩約15分(公共交通機関)/ 東名静岡ICより約20分(車)