異彩放つ店主が目じるし「あべの古書店」
静岡県浅間通りにアングラへの入り口?
こんにちは、ライターの馬場です。
みなさんは、静岡駅からほど近く、大きな鳥居から始まる浅間通り商店街に、とんでもないアンダーグラウンドへの入り口があるらしい・・・という話、ご存じでしょうか。
入り口の名は「あべの古書店」です。
一見すると、「まさに古書店」という感じの店構えですが、そこに勤める鈴木大治さん。なんと古書店店主のかたわら劇団「言触(ことぶれ)」、音楽レーベル「MAGIN RECORDS」を主宰し、さらに自分のバンドまで組んでいらっしゃるそうで。
ご自身で「心霊演劇」と表現される「言触」での鈴木さんのうたい文句は、「宗教やドラッグが提供するトランス状態を言葉と音で引き起こす、唯一無二の言触師」。
組まれているバンド「大中(デジュン)」のFacebookアカウントには、「エクストリームというかエクスペリメンタルというか電子音楽というかノンジャンルミュージックというか形容の難しい音楽を演奏し、まったく面白くないアングラトークをするデュオです」との説明。
それぞれ検索していただければわかりますが、とにかくアンダーなグラウンドの雰囲気がぷんぷんなんです。
「でも、なんでそんな人が古書店店主を・・・?」
そんな疑問を解決すべく、鈴木さんにお話を伺ってきました。
謎多き鈴木さんの「はじまり」について
店主 鈴木大治さん
馬場 | はじめまして。本日はよろしくお願いいたします。さっそくなんですが、鈴木さんは古書店の店主以外にも何やらさまざまな活動をされているとか・・・? |
鈴木さん | そうだね、もともとはずっと演劇をやっていて。とあるミュージシャンと出会ってから、それまでは機械を使わずにやっていた演劇を、エフェクター※なんかを使って音楽と一緒に即興でするやり方を始めたんだよ。それから音楽も好きになったかな。 |
※エフェクター:音に変化を加えるための機械装置のこと
馬場 | 本当に多趣味ですね。当時からあべの古書店の店主はしていらっしゃったんでしょうか? |
鈴木さん | うん。ここは父が始めたもので、今年の12月で40年になるんだけど、演劇と音楽をやりながらときどき番頭をするっていう感じで。
でもある日、父が「もう辞めようかな」っていうので、そこから本格的に引き継いだんだ。それが2000年のことかな。ちょうど20世紀は父、21世紀から自分っていうかたちで。 |
店内には絵本・漫画・小説はもちろん、希少な書籍がたくさん並んでいます。
馬場 | なるほど。鈴木さん自身も、小さなころから本を読まれるほうだったんでしょうか? |
鈴木さん | 父が古書店を始めるくらいだから、本は家にたくさんあったからね。それで、自然と読むようになったかな。ただ、読書が好きで読んでいるわけではないような気がする。多少は読む方だけど。
昔は情報って書物からしか取りようがなくて、音楽にしたって音楽誌のレコードレビューを読んで、想像で聴いたような気持ちになっていたんだよ。そういう意味で、情報源としての書物はずっと好きだったから、それを残していきたいって思いはあるかな。 |
いくつもの活動を続けられる原動力は・・・
馬場 | 古書店の店主を引き継ぐ前から、演劇や音楽の活動していたとおっしゃっていましたよね。これまで、そういった店主以外の活動に専念しようと思ったことはありませんでしたか? |
鈴木さん | なかったね。それでお金を取ろうとは思わないから。生活と演劇・音楽は一致していないからかなあ。 |
馬場 | でも、古書店との両立って、なにか大きな原動力みたいなものがないと大変では・・・? |
鈴木さん | うーん、物事を続けることって、自分に返ってくるものがないと難しいと思うんだよね。経済的な成功もあるだろうし、名誉とかね。
でも自分は、なにか野望があるわけではないから。なんというか、呪いみたいなものとしか考えられないねえ。 |
馬場 | ホヒェー、呪いですか。 |
演劇中の鈴木さん(写真は提供していただきました)。
鈴木さん | あ、でもね、もう時効だと思うけど(笑) むかし川沿いの公園で、雨降りのなか演劇をやっていたことがあったの。ところが、ひとりも観客は来なくて。
さて、どうしようってなったときに、ひとりがどうせ来ないならということで、「火の海でやっていたいなあ」って言うの。
それで、「よし、やろう。ガソリン持ってこい」って。公園にまいて、火をつけて。 |
馬場 | (なんかすごい話になってきた・・・) |
鈴木さん | そのなかでわあわあ言いながら演劇をやったんだけど。それが終わったあと、向こうから知り合いが来て、見てたよって。
そこでね、その人がずっと精神的に苦しんでいたんだけれど、「自分たちの演劇をみて救われた」というようなことを言ってくれて。観客がひとりもいない状態でやっていたつもりでも、知らないところで誰かが見ていて、それでその人が生きる気になったっていうのは、「なにかを変えたんだ」って感じた瞬間だった。
その、「何かが変わるかもしれない」「何かを変えられるかも」っていうので、いままでずっとやってきてるのかな。 |
100年先に残っているもの
馬場 | お店に関しては、なにか原動力になっているものってありますか? |
鈴木さん | 最近の書物って、100年持つかわからないんだよ。いまの印刷は紙の上にインクを乗っけてるんだけど、昔は活字って言って、金属の判子にインクを乗せてそれを紙に押し付けて印刷していて。そうすると、紙にわずかなくぼみができる。
だから、もし仮に100年後、活字印刷の書物がまっしろになってしまったとしてもわずかなへこみは残るから。レコードのようにね、へこんでる部分があれば再生できるんだよ。でも、いまの本はそれができなくて。
それでね、おれが扱う古書は活字のものばかりだから、100年後にまだ何かを伝える可能性が残っているぞと。それまでこの本たちが残ってくれれば、と思うんだ。 |
馬場 | そう考えると、古書店の役目ってかなり重要ですね。 |
鈴木さん | そうだね。あとは、ここで扱うもののなかには印刷物のほかに、個人の日記なんかもある。戦争中に書かれたものとかね。
もちろん日記だから、ほかの誰かのためのものではないんだけど、それでもこれを読んで、心動かされる人がいるかもしれない。
もしかするとここでおれが捨てたら、それが失われちゃうなって。残してあげたいなって思うんだよ。 |
展望は「はやく終わりたい」?
馬場 | では最後に、あべの古書店さんの今後について教えていただけますか? |
鈴木さん | こういうとすごくネガティブに聞こえるかもしれないけれど、「はやく終わりたい」と思う。死にたいんじゃないんだよ。うまい言いかたじゃなくて申し訳ないんだけど。 |
馬場 | どういうことでしょう・・・? |
鈴木さん | ここにある本を残してあげたいと思うと言ったけど、同時に捨てちゃいたい気持ちもある。
全部捨てて、終わりにしたいっていつも思うの。古本屋って本を助けられるけど、「これはもういらないな」と判断して捨てることも仕事のひとつなんだよ。
そうやって毎日、救うのと殺すのを同時にやっているものだから、残したい気持ちはもちろんあるんだけど、なにかと考えちゃうよね。 |
馬場 | 確かに、言われてみると不思議なお仕事ですね。 |
鈴木さん | だから一度、すべてを手放してしがみついているものがなくなったときに、何が残るか見てみたいなって思うんだよね。
死んでしまったら全部なくなるでしょう、それを生きているうちにやってみたい。お店も含めて、そんなことを考えるときがあるねえ。 |
馬場 | 興味深いことではありますけど、個人的にはやめないでください(笑) |
鈴木さん | ふふふ(笑)だから、そういう人がどんどんここの本を買って、自分のモノにしていってくれるといいなって思うね。 |
冒頭で「まさに古書店という感じの外観」と言いましたがじつはちょっとうそ。不思議なマスコットキャラクター「べの」がお客さんを出迎えます。
わたし自身本が好きでよく読むため、「街の気になる本屋さん企画第一弾!」くらいの軽い気持ちで(すみません)取材させていただいたのですが、いざお話を伺ってみて鈴木さんの真剣な思いにびっくり。
同時にいくつもの活動をしていれば、自分のなかで多少なりとも優劣がついてしまうようにも思いますが、鈴木さんからはそれがまったく感じられません。それには「何かを変えたい」、また「誰かのために提供したい」と考えるようになった深いエピソードがあったんですね。
演劇、音楽、古書、それぞれにこれまで続けてきただけの大切な理由があり、だからこそ全部手放してしまいたくもなるという・・・。すべてに対して自分の気持ちのありったけを注ぐ鈴木さんならではの考えに、ぐっときてしまいました。
もしかしたら、明日、あべの古書店と鈴木さんはぽっかりといなくなり、そこにはただの入り口だけが残っている・・・なんてことがあるかもしれませんし、ないかもしれません。その目で確かめるべく、ぜひお店へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
運命のモノと出会える街中のお店
あべの古書店
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