静岡大火と静岡大空襲を乗り越えた七間町
かつての映画街の歴史を1から振り返る

  • posted.2017/11/06
  • 吉松京介
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静岡大火と静岡大空襲を乗り越えた七間町 かつての映画街の歴史を1から振り返る

つい先日、とある人が「奇跡の商店街」と言っていました。静岡市葵区七間町「七間町商店街」のことです。

全国の商店街がシャッター通りに姿を変える時代で、市民から”おまち”と呼ばれるこの場所には専門店が立ち並び、なんとか踏ん張り続けています。

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夕方前の七間町商店街。

それでもかつての七間町は、「芝居小屋が点在する演劇の町」「映画館が立ち並ぶ映画街」であって、いま以上に人で溢れかえっていたそうです。

来年、静岡大火で焼失した映画館「キネマ館」が複合施設として復活する予定など、新しい風が吹き始めているいまだからこそ、七間町の過去を巡ってみたいと思いました。

江戸から大正の七間町:新門辰五郎が築いた「娯楽の町」

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七間町の歴史案内人として頼ったのは、七間町商店街をまとめる七間町名店街の副理事長、望月稔さん。

七間町の歴史を綴ったひとつの冊子『七間町物語(七間町町内会発行)』をもとに、たったひとりで再編集をかけてWEB上にまとめた方です。

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七間町名店街HP「七間町物語」。時代ごとの様子が写真とともに紹介されています。

seventown_face_01望月 さて歴史といっても壮大な話になるけど、どこから辿っていきましょうか?
yunoki_face_02吉松 七間町物語は、明治から昭和の終わりまでの流れがメインでしたよね。各時代のトピックスをかいつまんで教えていただきたいです。
seventown_face_01望月 わかりました。はじめに明治の前になっちゃうけど、七間町の歴史は今川・徳川時代から始まります。七間町は西と東をつなぐ駿河国の物流拠点だったので、昔から商店の町として栄えていたんですよ
yunoki_face_02吉松 商店の町。そのころは「演劇の町」「映画街」ではなかったんですか?
seventown_face_01望月 それはね、江戸時代の終わりごろから。徳川慶喜公が謹慎で静岡にやって来たとき、ボディーガードについていた新門辰五郎(しんもんたつごろう)のおかげでしょうね。

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江戸時代末期、江戸町火消し(消防団)「を組」の頭として活躍した新門辰五郎。静岡にいたのはたった4年ですが、駿府藩への協力やボランティア活動などを通して町の発展に大きく貢献しました。

その功績のひとつが明治3年(1870年)、七間町にオープンさせた芝居小屋玉川座」です。歌舞伎、芝居、奇術、手品、漫才、落語などの興行が許された小屋で、隣の町には遊郭もあったことから、またたくまに人が集まる場所となりました。

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『玉川座棟上の図』。静岡市葵区馬場町の古書店「あべの古書店」蔵。

seventown_face_01望月 玉川座は七間町の娯楽の基礎をまさにつくったんです。それから明治に入って、技術革新によって映画が生まれ、大正時代にかけて芝居小屋は映画館へと発展しました。玉川座がなければいまの七間町にはならなかったと思いますね。

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ちなみにこちらは大正8年(1919年)にオープンした映画館「キネマ館」。個人経営が中心だった芝居小屋や寄席などを、株式会社が初めて映画館として集約させた建物です。

昭和の七間町その1:静岡大火、静岡大空襲、そして復興

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大正中期、賑やかな七間町。左手前2番目の建物がキネマ館です。

seventown_face_01望月 時代を進めて昭和のお話。七間町にとって昭和というのはターニングポイントでした。
yunoki_face_02吉松 たしか静岡大火、静岡大空襲といった出来事が続いて・・・。
seventown_face_01望月 そうだね。人で溢れかえっていた町が静岡大火で焼け野原になる。その後、みんなで頑張って復興させたんだけど、すぐに静岡大空襲が起こってもう一度焼け野原になるんです。

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昭和15年(1940年)1月15日に発生した静岡大火。小正月で盛況だった正午、新富町(七間町から約1.5kmの町)から出火し、強い西北の風に吹かれ町から町へと飛び火します。

その結果、静岡市街地の中央部が火の海となった歴史的な出来事です。鎮火まで15時間、負傷者は1,000名にも及んだそう。上記写真は鎮火直後の七間町の様子だとされます。

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こちらは静岡大火の翌年、昭和16年(1941年)に完成した映画館「新興劇場」。映画街として盛り上がっていた七間町の静岡大火後、再興の象徴です。しかし再び町に降りかかる災禍によって、わずか4年間の営業で役目を終えました

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それが静岡大火の5年後、昭和20年(1945年)に起こった静岡大空襲。太平洋戦争末期にやってきた100を越えるB29の大編隊によって、静岡市街地の中心部は再び火の海と化します

被害の規模は静岡大火以上で、被災者11万4,000名、死者1,873名、負傷者は600名にも及びました。写真1枚目は空襲後の静岡市街地、2枚目は七間町3丁目付近です。

seventown_face_01望月 でも静岡市民、七間町民のみなさんは挫けなかったんです。焼け野原になった町を再興するために、全員で復興に向けて歩き始めました。

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静岡大空襲の4年後、昭和24年(1949年)に静岡市が開催した「戦後復興祭」。4年間で町は大空襲前の姿を少しずつ取り戻し、市民の生活も落ち着いてきていました。娯楽を求める風潮があったことから、このお祭りは商店街はもちろん市民からも歓迎されたそうです。

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続いて昭和28年(1953年)、七間町にあった映画館「中央劇場」。ニュース劇場、朝日劇場といった映画館を経て、中央劇場になりました。このあと東宝劇場、東宝シネセブンと立ち代わり、現在も映画を上映する「東宝会館」へと至ります。

昭和の七間町その2:日本映画界とともに成長した七間町

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昭和30年代(1955年~)の七間町。奥には静岡市役所旧庁舎が見える。

seventown_face_01望月 順調に復興していった七間町は、映画館を中心に再び娯楽の町として栄えていきます。たとえば、全盛期は七間町だけで映画館20館、スクリーンでは30もあったんです
yunoki_face_02吉松 七間町だけで20館も!?
seventown_face_01望月 そうです。だから七間町は「映画街」と呼ばれるようになったんですね。

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昭和32年(1957年)12月に完成した「静活文化会館」。通称「静活(シズカツ)」と呼ばれたこの場所は、映画館、プラネタリウム、スケートリンク、喫茶店、プレイランドといった娯楽が詰まった大規模なレジャービルです。オープンから1か月で8万人を超える市民が訪れたそう。

seventown_face_01望月 ちなみに昭和33年(1958年)は日本映画界が最多動員数を記録したんですよ。なんと1年で12億人、国民のひとりが年間で12回も観た計算です

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昭和40年代(1965年~)の静活付近の様子。左手のビルが静活、右手のビルは映画館「静岡日活(後の静岡ミラノ1・2・3)」です。ポルノ映画を上映する劇場で、地下にはキャバレーが併設されていました。

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seventown_face_01望月 ちなみにこれどこかわかる?
yunoki_face_02吉松 いや、どこでしょう・・・。静岡おでんの屋台かなとは思いますが・・・。
seventown_face_01望月 静岡おでんの屋台は大正解。じつはここね、青葉シンボルロードなんですよ
yunoki_face_02吉松 青葉シンボルロード!? ウソみたいな景色ですね。

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七間町と両替町を区切る現在の青葉シンボルロード。秋から冬はイルミネーションで彩られます。あえてモノクロにしてみました

少し寄り道となりますが、先ほどの写真は昭和30年代(1955年~)、青葉シンボルロードに並んでいた静岡おでんの屋台。もともとはリヤカーで営業していた店舗が、いつのまにかボリュームアップしてテントになったそう。

どの店舗も静岡市の許可を得ずに営業していたので、そのうち保健所などの指導で青葉シンボルロードから追い出されてしまいます。

いま常磐町に「青葉おでん街」「青葉横丁」というふたつのおでんロードがありますが、これらの発祥はじつは青葉シンボルロードだったんですね。豆知識でした。

平成の七間町:バブル崩壊からの再興へ・・・?

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昭和52年(1977年)、モータリゼーションによって車が行き交うようになった七間町。

seventown_face_01望月 昭和末期の七間町も大勢の人で行き交う賑やかな様子だったね。でも平成のバブル崩壊を受けて、徐々に映画館も人も減っていくんです
yunoki_face_02吉松 ここでまた、七間町に新たな試練が訪れるわけですか・・・。
seventown_face_01望月 そう。平成23年(2011年)10月には、七間町のシンボルでもあった静活が新静岡セノバに移転しまして。映画館の数でいうと全盛期は20館もあったところが、いまでは1館のみ。東宝会館だけです。

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2017年11月現在、七間町唯一の映画館「静岡東宝会館」。

yunoki_face_02吉松 とある人が七間町商店街のことを「奇跡の商店街」と言っていたんです。全国の商店街はシャッター通りになってしまう時代で、これだけの専門店が営業していること自体がすごいと。
seventown_face_01望月 みんなに守ってもらっていますよね。厳しい歴史があるけど、それを乗り越えたみなさんがいまにつなげている。ただ奇跡とはいっても、時代の流れでお店は年々減っていますので、危機感を持って取り組む必要がありますよね。
yunoki_face_02吉松 いまかつての「キネマ館」が復活するような話など、新しい風が吹いているようにも思います。バブル崩壊、静活の移転が停滞期だとすれば、また再興への期待をしてしまうんですが・・・。
seventown_face_01望月 そうですね。最近は山梨さん(キネマ館を含めた事業の代表)や、柚木さん(スノドカフェ七間町のオーナー)といった新しい人たちが町を引っ張ろうと動いてくれているんですよ。

 

なかなかしがらみもあって難しいところもあるけど、七間町をつないでいくために縦と横で連携していきたいです。いろんな歴史が交わって、いまの七間町が出来上がっているわけだから。

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激動の時代を生き抜き、いまにつないできた七間町。時代の流れによる、厳しい現状を見過ごすことはできません。

でも「なにもないところから、2度も復活してきたこの町なら」と勝手な期待を寄せてしまうのは――。先走った考えでしょうか。

七間町を過去から未来へと辿ってみます