静岡市ご当地キャラ・さくやちゃんと歩く!
「清水港線」跡にまつわる清水少し昔ばなし
はじめまして、静岡市の非公認ご当地キャラ「さくやちゃん」と申します。これから私の愛する町・清水の、少しマニアックだけど知ってると面白い、何かの役に立つかもしれないネタを紹介していきたいと思いますζζ
さくやちゃん
静岡市ご当地PRキャラクター「葵桜玖耶(あおいさくや)」。通称・さくやちゃん。静岡市の地域情報&グルメを、Twitter(@sakuyaoi)ほかブログ「みなと町でも桜は咲くら」で発信中。
清水にあった国鉄
ご紹介するのは、1984年まで旧清水市の港を走っていた国鉄「清水港線」についてです。
1916年開業、1944年より現在のJR清水駅から三保島の途中までを結び、当時は三保の学生や、工場で働く人の移動手段として活用されていました。
1984年には全線が廃止され、今はその名残もほとんど残ってはいませんが、かつて線路があった道を辿ると、意外と当時を感じられる発見があったりします。それを見つける「町歩き」が今回の内容ですっ!
そのまま読んでいただいても町歩きの楽しさは伝わるとは思いますが、まずこちらの動画を見ていただくと、今回の内容がすんなりと、またいろいろな発見をしながら理解していただけると思いますよ!
かつての清水港線、三保駅から清水駅までの動画です。
想い出の鉄道シーン14 清水港線 三保ー清水 混合列車乗車編
史跡を辿る8.3kmウォーキング
というわけで、JR清水駅のみなと口へとやってきました。当時の始発駅である清水駅も、現在の清水駅と同じ場所です。東海道本線も同じ駅内を通っていました。
ここから歩いて当時の終点、三保駅を目指します。線路の長さは8.3kmだったそうで、なかなか運動になりそうな探訪ウォーキングですね~。
本当は青空の見えるもっと晴れた日に回りたかったのですが、それはそれで熱中症との戦いになりそうな距離なので、この日で良かったかな~? もちろん写真は晴れてるほうが映えるのですけど……。
清水テルサが見える現在の駅東口駐車場前、清水港線のホームはこのあたりにあったそうです。路線が多いので当たり前かもしれませんが、現在より広い駅だったんですね~!
今はホームの跡や名残はまったくありません。このあたりの建物は清水港線廃線後に建造されたものばかりなので、何かが残っていたとしてもすべて地の下でしょう……。
清水港線跡の遊歩道
しばらく進むと、港湾道路の陸橋「崇徳橋(ストックトン橋)」と並行して通っている自転車&遊歩道にたどり着きました。じつはこの遊歩道が清水港線の線路跡なのです!!
遊歩道沿いでは毎月フリトラ市などが開催されていますが、イベント開催地の欄には「清水港線跡遊歩道」と書かれていることもありますよ。
正式名称ではありませんが、上の世代には清水港線の跡地という認識が強く残っているということですね~!
ガードレールが設置された遊歩道の端を覗くと、ここだけ古く黒い線路端の跡が残っているのがわかります。最後まで続いているわけではないですが、清水港線跡の道端を見ると、同じように古く黒い道が残っている場所がちらほら発見できました!
ストックトン橋の下に潜ってみました。こちらは清水港線が運行していた当時からあるので、動画でも今と同じく橋の下を潜っていく瞬間がありますね!
遊歩道の切れ目は踏切があった場所だそうです。遊歩道ができた当時は踏切を含め、清水港線の形跡も多く残されたままだったとか。今は周りにも新しい建物ができて、残念ながら当時の姿は跡形もなく失われています~。
遊歩道はエスパルスドリームプラザの駐車場の裏につながりますが、そこに「清水港線跡地」と彫られ、線路と車輪を模した記念オブジェが設置されています!
こちらは2017年に造られたばかり。写真の右側の看板には、冒頭で紹介したような簡単な内容ですが、清水港線の紹介が載っていますよ!
清水港駅とテルファー
さらに先へ進み、遊歩道を抜けエスパルスドリームプラザの海側に出ました。貨物駅である「清水港」駅の跡地ですが、こちらにある「清水港テルファー(テルファークレーン)」も清水港線と深く関係しているのです!
じつは国の登録有形文化財にも指定されているテルファー。すでに公園の一部として市民の憩いの場になっており、敷地内にふわふわ遊具が設置されている光景にも違和感はありませんね~。
実際の用途としては、船から陸揚げされた木材を清水港線へと積み上げる作業に使うもの。運転開始後はベルトコンベアを用いて1日かかっていた作業が、1時間弱に短縮できたらしいです!!
建造された1928年当時、日本では主要港にしかない最新機材でした。今はもう過去の技術であり、現存するテルファークレーンは清水港テルファーのみです。
清水港テルファー(エスパルスドリームプラザ)
清水埠頭駅から
引き続き線路跡を進んでいきます。テルファーの横をまっすぐ進んでいくと、港の大型マンション「浪漫館」の前に出ます。ドリームプラザも浪漫館も運行当時は存在していませんけどね。
真っすぐ進んだ先は駐車場になってしまっているため、浪漫館の右側を迂回しました。この辺りに当時は「清水埠頭」という駅があったそうですよ!
こちらが先ほどの写真にあった浪漫館の、ちょうど裏側です。道がふさいであるのでまた少し迂回しますが、この湾曲した道が線路跡にあたるそうです!
道なりに進んでいくと、雑草が生い茂りだんだんと道なき道のようになっていきますが、通れるので気にせず進みましょう~!
この辺りも道の端は古い石が見えていて、「本当にここで合ってるのかな?」という疑問を解消してくれます! これがないとしばらくは、ただの裏道散歩になってしまいそうでしたっ…!
建物からも草が生い茂る倉庫の道につながります。写真左には特徴的ないみり(ひび)があるNo.36の倉庫。動画の21分のあたりで確認できます!
ほかの場所はテルファーを除いて特徴といった特徴が動画とあてはまらなかったので、ここを見たときは感動でしたっ!まだ半分も歩いてないのですが(笑)
巴川可動橋の跡
しばらく道なりで清水港線の跡といえるものは特に発見できませんでした。突き当たったのは巴川の河口、清水港との境目です!
わかりにくいですが対岸に少し出っ張りがあります。当時ここには清水港線の可動橋が架かっており、この写真の正面がちょうど橋になっていたそうです~!
先に進むため、巴川に架かる「羽衣橋」へ迂回します。羽衣橋から見える先ほどの道に可動橋のイメージを描いてみました。実物を知らないのであくまでイメージ!
先ほどとは対岸側へ周ると、橋の先に線路の跡が残っていました。はっきりとした線路の跡はここだけ!! なにも保護もされていませんが、貴重な形跡ですね~。
対岸からはわかりづらかったので、こちらからもう一枚~。このガードレールが設置されている出っ張りが当時の可動橋の土台部分です!
振り向くと、まさに鉄道の線路沿いといった具合の石のガードも残っていました! 木々が生い茂り進めませんが、管理されていない分いろいろと跡が残ったままの貴重な場所ですね~!
上を見上げて目を凝らすと、電柱のようなものが2本見えますね! こちらも清水港線の跡なのでしょうか?
迂回して進んだ先には清水の浄水場「静清浄化センター」があります。
地元の方しか知らないような場所ですが、施設の手前には屋上公園があり、そちらから先ほどの電柱が見えました!
可動橋を通過する際に音を鳴らしていたスピーカーなどがそのまま残っています。こちらも無造作すぎますが重要なスポットでしたっ。
巴川口駅から
静清浄化センターの裏には4つめの駅「巴川口」駅の再現スポットがあります。こちらは実際の駅の位置とはズレているそうです。駅舎は残念ながら再現されていません~。
それでも実際の線路とホームの様子が正確に再現された、資料としては一番大きなスポットになります。右の案内板は清水港線の歴史と地図が紹介されています!
敷地内にあり、特にカギなど掛かっている場所ではありませんが、関係者以外立ち入り禁止の施設ではあるので、受付で許可を取る必要があります。
「清水港線の史跡巡りをしていて」など、ひと言声をかける程度で大丈夫です。断られることはまずないのでご安心ください!
静清浄化センター
引き続き進んでいきます。静清浄化センターの隣から、こちらは整備はされてはいませんが、主に三保半島の学校へ通う学生さんが使う自転車道になっています!
前半の跡地の自転車道と違い、こちらは富士ロジテックの工場がある辺りを通っていたそうなので線路跡は少しずれていますね~。真っすぐ進みますが気になるものは特になし!
しばらく進むことで整備された自転車&遊歩道へ出ました!この辺りも自転車道より少し左側の草が生い茂る辺りに線路が通っていたそうです。こちらも特に形跡は見えませんね~。
この辺りから唐突に、終点駅「三保駅」までの距離の案内看板が立っています!
500mごとに並んでいるのですが、ここからいきなり立てるなら清水駅から順番に立ててくれてもいいのにと思ったり……(笑)
裏側はしっかり旧三保駅 “から” になっていますね! 8.3kmのうち残り3.5kmということはもう4.8kmも歩いてきたのですね…!? 良い運動!
どっちが折戸駅跡?
自転車道・遊歩道沿いを進んでいくと、ほとんど読めない案内看板があります。微かに一番上は「国鉄折戸駅跡」と書いてあるので、ここが5つ目の駅「折戸駅」だったのかな?
こんな状態になって残してあるのも関心の薄さがよくわかるというか、ちょっと残念な気持ちになりますよ~。
そこから500m以上進んだところに、また読めない看板が設置されています。先ほどは「13」で今回が「10」の番号が見えますが、ほかに看板は見当たりませんでした。
こちらはタイトルもわからないものの、右下の看板は船場跡と折戸駅跡と読めます。あれ? 先程の看板の場所も折戸駅だったような???
大きな駅ならホームが500mあっても不思議ではないですが、この辺りの地形的にもあり得ないと思いますし、謎が深まりました(笑)
せめて看板を書き直してもらいたいですね~!
終点の三保駅へ
遊歩道になってしまっているのでほかに清水港線の形跡はなく、いよいよゴールの三保駅まで500mの地点! 下の案内板には清水駅までの距離も書いてありますね。
「清水駅まで7km」とあり、実際の線路の長さ8.3kmよりは歩いてなかったみたいです~。途中で遊歩道が切れているので、どの道を通って7kmなのかあいまいなのですけどね!
という訳で到着!! ものすごいダイジェストでしたが、実際歩くと最後の500mが意外とつらいですからね? 全部で7.5kmはウォーキングでもかなり良い運動になりました!
旧三保駅は「三保ふれあい広場」という名前の公園になっています。
ここまで来た人へのご褒美のように、清水港線を実際に走っていたディーゼル機関車とアルミナタンク車が展示されています! 野晒しなので劣化具合が気になりますね……。
こちらにも案内看板があり、ほかのスポットの清水港線の紹介より詳しい内容です!清水港線の廃止とともに廃車になったと書かれているので、最後まで走り続けた車体なんですね~!
三保駅のホームの跡も残っています。巴川口駅の再現より大きいですが、構造はほぼ同じです。駅舎は残っていませんが、当時の電車待ちの気分が味わえるかも!
三保ふれあい広場
まとまってないけどまとめ
歩き終えたところで大きな発見があるわけではありませんが、史跡を巡るウォーキングは、目標をもって町歩きができることが利点だと思っている私の趣味ですっ!
単なるお散歩も、その土地のことを調べながら歩くことで探訪になります。新しいお店も、昔からの歴史も、清水にはまだまだ認知されていない魅力が満載ですよ!!
清水を歩き回る私だからこそ紹介できるスポットや、町歩きの楽しさを今後もまた紹介させていただきますね!ζζ
おまけ フェルケール博物館
清水港テルファーと清水港線の模型。清水区港町にある、船と貿易の歴史を伝える博物館「フェルケール博物館」には少しですが清水港線の展示があります!
巴川口駅付近と巴川可動橋の模型。線路跡を歩く前でも歩いたあとでも、これを見るのと見ないのとでは想像する光景も変わってくるはず。
清水港線で使用されていた道具やチケット。その時代を生きていないのに、調べすぎて懐かしささえ感じるほどにのめり込んでしまいました~!
清水港線以外にも清水港とはどういう港なのかを知ることのできる博物館です。観光には向いていないかもしれませんが、地元の方には一度はじっくり学んでほしい内容が詰まっていますので、こちらも一度見ていただければ!