あの久能山東照宮にミステリーが!?
葵の御紋をよお〜く観察してみよう!
久能山東照宮といえば、静岡市民にとってもっとも親しみ深い神社のひとつ。徳川家康公を祀る社で、絢爛豪華な建築が見どころです。
本殿と拝殿、石の間は国宝であり、楼門や廟門など13棟が国の重要文化財に指定されています。
ただ、この見事なまでの建築にいくつか、不可思議なものが紛れ込んでいるそうなのです。数日前にここを参拝した友人から送られてきた写真を見てびっくりした筆者。
ん? なんか変。よく見てみると――。
はて。葵の御紋が逆……思いっきり失敗しているではあーりませんか。これ国宝だぞ国宝。どうなっているのか。
というわけで、コトの真相を直接問いただしにいって参りました。1159段の石段※をハーハー言いながら登って。
※1159段の石段についてはこちらの記事を参照ください。
3箇所もある「逆さ葵」の謎
今回ご案内をいただいたのは、久能山東照宮禰宜・後藤正一さん。
Takashi | さて、さっそくなのですが後藤さん。あの御紋はいったいどういうことでしょう。 |
後藤 | はっきりしたことは私どもにも定かではないのですが、おそらく「わざと完成させなかった」のだと思います。 |
Takashi | ものづくりに携わる方は「あえて中途半端なままにする」ことがあるというのを、たまに聞くことがあります。完成するとそこで終わってしまうから? |
後藤 | ええ。完成はその後「朽ちるのみ」であるという考え方であると思います。家康公を祀る神社として永久的に残っていくことを願い、あえて未完成にしたというのが、神社としての見解です。 |
後藤 | 御紋が逆になっている「逆さ葵」は拝殿に計3箇所。じつはそれ以外にも未完成と推察される部分があります。どうぞ、こちらへいらしてください。 |
後藤さんに案内され、拝殿の殿内へ。やはり中にも立派な装飾が施されています。「あちらを見てください」と後藤さんが差し示した壁に目をやると、これまた不自然な状態が見てとれました。
全体と比べて明らかに、塗装が薄いのです。職人達が自らの意志でそうしたのか、それとも幕府の指示だったのか。真相がわからないからこそのロマンを感じました。
久能山東照宮の「タブー」に迫ってみた
後藤さんはほかにもさまざまなお話しを聞かせてくださいました。
麒麟は「心強き者の誕生を願って」掘られたものであるとか、鳳凰は本来ツガイであり雄が鳳で雌が凰である、などなど。目からウロコの話ばかりで、途中から一般の参拝客もその話に聞き入っていました。
生命の尊さを伝える「司馬温公の瓶割」。
途中から神社ツアーのようになった取材風景。
ここで筆者、とても聞きづらい疑問を後藤さんにぶつけてみることに。
Takashi | 家康公のご遺体が久能山にあるのか日光にあるのか、じつはよくわからなくて……。墓は久能山にあるものの、遺体は日光へ移されたという見解が多いですが、真相はどうなのでしょうか? |
後藤 | ご遺体を日光へ移したという記録は残っておらず、だからと言って調べるわけにもいきません。神聖なお墓を掘り起こしたりすべきではないですから……。過去の時代においても、お墓を掘ってご遺体を動かしたというのは、やはり考え難いのです。 |
家康公が眠っているとされる「神廟」。
後藤 | これは追究すべきことではないと思っています。だから、こう考えてはいかがでしょうか。「久能山は墓所であり、日光はいわゆる仏壇のようなものである」と……。
一般のご家庭でも、墓石より仏壇のほうがきらびやかでしょう。久能山と日光もちょうど、そのような関係ではないかと。 |
たしかに、日光東照宮は久能山よりもさらに華やかな造りで、見るものを圧倒する建築です。墓所と仏壇……なるほど。
つまり家康公の御霊は日光へ分祀されたが、ご遺体はそのまま久能山にあるということ。私が長年抱いてきた疑問もひとまずの決着を得ました。
久能だけでなく日光においても、未だに発掘調査はされていません。真実や真理の追究よりも、人としての在り方や“心”のほうが、もっと大事。神様から、そんな風に言われた気がしました。