「ビートたけしは僕のお店で働いてたのよ」
下田ぶらり旅は急にカオスな食事処の旅へ
下田市街地にある伊豆急行の駅「伊豆急下田駅」。
先日、吉松とmitecoライター花さんのふたりで行った、南伊豆の旅をお届けしました。
これは前乗りした日、予約していた旅館のチェックインまで微妙に時間が空いたので、下田市街地をぶらり旅してみたときのお話です。
まさか道中で「ビートたけし」の名前が出てくるとは、駅の時点では予想だにせず・・・。
「香煎通り」は序章にすぎなかった
とにかく気の向くままに歩くことにしたふたりは、伊豆急下田駅を南方面に進みます。
吉松 |
道路の向こう側に古めかしい鳥居があるな。 |
花 |
とりあえずそっちのほうを歩いてみましょうか。 |
右側の柱には「香煎通り」と書いてあります。
左側の柱には名前の由来が書いてある看板。
香煎通り 名前の由来 ~喉の神様 香煎塚~
今は昔、下田村の新田の在に、こうせん婆さんの墓が有ったそうな。何でも真田幸村の殿様に仕えていた位の高いお方で、須崎から来たらしい。香煎を喉に詰まらせて亡くなったと言うが、お参りして咳の直った人が、こうせん菓子を持って、お礼参りにきたものじゃ。そこで昭和の初めに、稲田寺さんから土地をもらい、新田の衆が祠を建てたという訳じゃ。今でも喉を病んだ人や、唄の上手になりたい者がお茶を持って願掛けに来るようじゃよ。
香煎通りの看板より
吉松 |
なんでこういう口調なんかな。 |
花 |
おじいちゃん語りですね。 |
香煎通りを歩いていると、左側に祠らしきものが現れました。
こちらが香煎通りにある祠。ここにお茶を持っていくと、もしかすると喉が治ったり歌がうまくなったりするかも?
花 |
あの、このあたりのことについて、向こうにいるお姉さんに聞いてきてもいいですか? |
ここから急展開です。
「ビートたけしの師匠がやっているお店」ってなんだ?
「田中さん(仮名)」という女性の粋な計らいで、あるところに案内してもらっています。
状況を説明すると、僕、花さん、お姉さん(ベビーカーを押している方)の3人で話していたところ、どうやらお姉さんの知り合いらしい女性がやってきました。
お姉さんが「このあたりをぶらっと旅をしている方らしくて・・・」と話せば、女性は「じゃあ、福乃家さんがいいじゃない。連れてくからさ」と返します。この女性が田中さんでした。
田中 |
福乃家はね、ビートたけしの師匠のお店ですよ。 |
花 |
え!? |
田中 |
なんでかって、若いころから東京の歌舞伎町でお店をやっていて繁盛店だったんだから。そこにね、まだ有名じゃないころのたけし軍団が入り浸りだったらしいの。 |
吉松 |
!? |
田中 |
あとはふくちゃん(おそらく店主の愛称)がね、「りのちゃんがさ、うちの子に絵本を読み聞かせてくれて」って言うから誰だろうと思ったら、かたせ梨乃のことを話してたり。お店にはまだ売れてない時代の芸能人が溜まってたんだよね。 |
「うそでしょ?」と思わざるを得ない話ばかり。ビッグな名前がどんどん出てきます。
また田中さんによると、イズシカのカレー、うな重、そうめん、ひやむぎ、おそば、鮭の塩焼きなどなど、ご飯ならなんでもあって、どれもおいしいとのこと。
という流れで、ビートたけしの師匠がやっていてかつ、ご飯ならなんでもござれ“らしい”「福乃家」に向かっているわけです。
福乃家の店主は東京で約40年もジャズ喫茶をやっていた!
到着しました。下田市2丁目にあるお食事処「福乃家」。真っ黒な木造建築で、提灯やら椅子やら看板やらが無造作に並べられています。これはカオス。
「おしゃれでしょ~! ここが下田で一番のおすすめなの」と言いながら、店内に入る田中さんに着いていきます。
店内は外観の期待を裏切らない、さらなるカオス。異空間に吸い込まれたような気分です。
席に着くと店主がついに登場。
福乃家の店主、福田稔さん(通称:ふくちゃん)です。
吉松 |
田中さんに「下田市だったら一番おすすめ」と連れてきていただいたんですけど・・・。なんと福田さんはビートたけしの師匠だとか。 |
福田 |
師匠なんてもんじゃないけど、ビートたけしは僕のお店で働いてたのよ。東京にいたころだった。 |
吉松 |
(働いてたのか)このお店の前には東京でお店を? |
福田 |
僕は東京生まれ。新宿で18年ジャズ喫茶をやって、それから六本木で20年ジャズ喫茶をやってさ。ここに来てからは20年以上経ったね。 |
吉松 |
新宿と六本木で約40年も・・・。 |
ビートたけしの師匠ではないものの、ビートたけし本人が福田さんのお店で働いていたのは間違いなさそう。しかも、約40年も東京でジャズ喫茶をやっていたなんて・・・。
呆気に取られていると、福田さんと田中さんが福乃家の説明を始めます。
田中 |
ここは古い江戸時代末期の家でね。もともとお豆腐屋さんだったの。昔の豆腐屋さんをイメージしてほしいんだけど、コンクリート打ちっぱなしで入口は道路と同じ高さじゃない? お店の入口を見ればわかるけど、そこは当時のままなのよ。 |
花 |
あ、ほんとだ。全く気付きませんでした。 |
田中 |
あのね、下田市2丁目は昔、色町だったことを知ってる? そう、遊郭のことね。ペリーさんも上陸したし、すごく歴史のある町なの。ふくちゃんはそんな当時の様子を残しつつ、店の壁もぜーんぶ作っちゃった。このあたりで当時の建物を残してるのは福乃家と数軒くらいじゃない? |
福田 |
そうかな。いやさ、みんなぶっ壊しちゃったからね。 |
吉松 |
えっと、ぶっ壊しちゃった? |
机が並んでいるスペースの天井は、僕(身長175cm)だと中腰にならないと頭をぶつけるくらいの高さ。
福田 |
昔ね、下田の人たちは観光客を呼び込むために、鎌倉みたいな街並みにしたかったらしくて。でも僕に言わせれば、下田はすでにいい街並みだったの。結局は潔くどんどん壊しちゃったけどね。 |
田中 |
都会の人とか観光客の人は、この古い建物を「かわいい」って言うの。一方で下田市の人は小汚いとか言ってさ。私はかわいいと思う派なんだけどね。 |
吉松 |
色町だった時代のイメージを払いたい、なんていう気持ちもあったんですかね。・・・その流れでここが残ったのはなぜですか? |
福田 |
下田の解体屋から「ここを壊して駐車場にする」って話を聞いてさ、単純にもったいないなと思ったから、家主に交渉をしてなんとか安く買ったの。あとは廃材を使って、僕がひとりで作ってさ。 |
「最後はローカルに行きたいって思うの」
そのうち、花さんと田中さんは下田市の話で大盛り上がり。僕は「いまからコーヒーを淹れるから」と言う福田さんに着いていきました。
吉松 |
あの、福田さんは新宿や六本木で長いことお店をやっていたんですよね。なんで下田に来ることになったんですか? |
福田 |
誰でもそうなんだけどさ。都会で働いていると老後っていうかさ、最後はもっとローカルに行きたいって思うの。 |
吉松 |
・・・そういうものなんでしょうか。 |
福田 |
いっぱいいるよ? そういう人はね。ましてや僕なんて、新宿や六本木で働いてたからさ。とにかく老後は伊豆って決めてたの。でも下田はたまたまだよ。 |
「どうして伊豆だったのか」と聞こうとしたところで、「コーヒーできたから持ってくよ」と福田さん。テーブルに戻ってからは、田中さんとふたりで下田市の観光についてアツく教えてくださる時間が始まりました。
そうこうしているうちに、旅館のチェックインがギリギリになってしまい、福乃家を出発することに――。
福田 |
下田にはいっぱい見るところあるから。楽しんでね。いってらっしゃい。 |
微妙に時間が空いたから、と始めた下田市街地のぶらり旅。短い時間でしたが、下田への愛にあふれる地元のみなさんと出会えました。
福乃家の福田さんにはまだまだ聞きたいことがあるので、また機会があったらぜひ寄りたいところ。田中さんも「福乃家はご飯が本当においしいのよ。次はご飯を食べにいらっしゃいね」と言ってくれました。
ちなみに店内の壁に張ってあったメニュー。田中さんが言っていたとおり、なんでもござれですね。夜になると夕ご飯用にメニューが追加されるそう。ちょっと入りづらい外観ですが、足を踏み入れたらアットホームな雰囲気なのでみなさんもぜひ。