伝統「久能石垣いちご」発祥の農家が語る秘密
石垣になった理由と甘すぎる「かなみ姫」とは
静岡の冬の風物詩といえば、そう。久能の石垣いちご!
数百ものいちご農家が軒を連ねる久能街道で、筆者がもっとも信頼している農家さんのひとつである「常吉いちご園」にお邪魔しました。
久能山東照宮大鳥居内にある常吉いちご園。
筆者、こちらへは何度か訪問していまして、農園主のいちご作りにかける想いや姿勢、歴史を伺ううちに大好きになりました。
さらに常吉いちご園では「かなみ姫」という、驚愕の糖度を誇る品種があります。かなみ姫を食べたときのインパクトは強く印象に残りました。
かなみ姫とはいったい、どんな品種なのか。その前にまず「久能石垣いちごってなに?」という疑問からお応えしたいと思います。
石垣の輻射熱で育てるいちご栽培方法
石垣いちご栽培とは、国道150号沿いに広がる久能一帯でのみ採用されている、ほかに類を見ない気候風土が生んだ栽培方法です。
石垣はすべて斜面を利用して、南側=太陽に向かって積まれています。苗は石垣の間に。
日光の熱を石垣が十分に取りこみ、蓄積させることで、いちごの発育を促しているんですね。
静岡の温暖な気候に加えて石垣の輻射熱。これが石垣いちごのおいしさの秘密です。
石垣いちご発祥の地、常吉いちご園
石垣いちごの始まりは明治。じつは今回の主役、常吉いちご園こそが栽培発祥の地です。
常吉いちご園4代目、川島常雄さん。
いちごに語りかけるような仕草とがっちりとした身体つき、やわらかい表情が印象的な常雄さん。石垣いちごの始まりについて、伺ってみました。
川島 |
当いちご園の初代……つまり私の曾祖父にあたる常吉は明治維新のころ、久能山東照宮で仕えていました。
そして明治29年ごろになると、当時の宮司だった松平健雄さんから、手土産としてアメリカ産いちごを譲り受けたのです。初代はいちごという果物に興味を抱き、苗を増やして畑に植えたり鉢に植えたりして工夫を重ねました。
このとき、土留めの石垣の間に植えた苗が、ほかの場所で植えたものよりも発育がよく、大きな甘い実をつけたそうです。発育の要因が石垣の輻射熱にあることに、そこで気付いたんですね。 |
常吉いちご園付近から。久能山東照宮の門が見える。
……なんと。
石垣いちごが、久能山東照宮とも関わりがあったとは。その後、常吉さんは石垣いちごの普及に努め、やがて久能山一帯の農家が栽培を始めるまでになりました。
この流れは、日本における特産品と「観光いちご狩り」の起源であったとも言われています。
最古の国内品種「福羽いちご」と「かなみ姫」
静岡のいちごといえば「紅ほっぺ」が有名ですが、ほかにもこれまでさまざまな品種が開発されてきました。
常吉いちご園には、なんと完熟時に糖度25度という、けた違いの甘さをほこる「かなみ姫」があります。
どうぞ食べてみて、と常雄さんからひと粒ごちそうに。本当に、とんでもなく甘い! 信じられないほどです。
川島 |
甘さの秘訣は肥料。うちでは小魚の骨や貝類の殻などを有機肥料として使っています。安心してお召しあがりいただけます。 |
と、常雄さん。いちご狩り(要予約)でも提供しているので、思う存分堪能できます。いちごの固定概念を覆されるような甘さ……。ぜひ試してみてください。
さらに、常雄さんに案内されて訪れたのはコチラ。
国内品種としてもっとも古い「福羽いちご」。初代の常吉さんが使っていた石や苗を保存しています。現在の石垣はコンクリートですが、当時は玉石だったのですね……。
そして今年、2017年。
常雄さんは、3代目から受け継いだ福羽いちごの栽培をさらに増やしました。保存されてきたものと合わせてビニールハウス1列分。しかしこのまま販売はできないし、するつもりもなかったとのこと。販売できないものを、なぜ?
川島 |
お金ではなくて。最古の福羽いちごがこうして存在していることを、知っていただくことに価値がある。 |
筆者、このひと言に感動しました……。
常雄さんがコンクリートの石垣で栽培したものは、保存してきたものと一緒に並んでいます。
このように。右が保存している玉石。左がコンクリート。
福羽いちごはジャムに加工して販売しており、常吉いちご園で購入が可能です。
静岡が誇る石垣いちご。その歴史と価値ある逸品に触れてみてください。