浜松はラッパを吹ける人が日本一多いまち!?
専門家から街角まで歩き回って大調査
みなさん、「楽器メーカー」と言われるとなにが思い浮かびますか? たとえば、ヤマハやカワイ、鈴木楽器といったピアノや管楽器、教育楽器の製造・開発をしている企業。バンドをやっている方のなかには、ローランドって答える方もいるかもしれません。
じつはこれ全部、浜松市に本社を置いている企業なんですよね。
よくよく考えてみるとめちゃめちゃすごい! そもそも静岡県はピアノの出荷量における国内シェア100%(平成26年時点)※1、さらに楽器全体のシェアは70%前後※2で全国1位を誇ります。もちろんそのほとんどの楽器には、浜松に本社を置く上記企業のロゴが入っているんです。
2014年には、ユネスコの創造都市ネットワークに音楽分野として加盟が認められ、当時アジアでは唯一となる“音楽のまち”が誕生しました。
※1:静岡県公式ホームページ
※2:静岡県公式ホームページ経済産業部
“音楽のまち”ってなんだ?
でも、ちょっと待って。
じゃあ、みなさん。“音楽のまち”と言われるとなにが思い浮かびますか?
僕は、有名な音楽団があるようなところ・・・ウィーンやベルリンなんかが思い浮かびます。そのほかの場所ではイギリスのリバプールやグラスゴーは、有名なロックバンドやポップスが流行した原点だし、ニューオリンズだったらジャズ発祥の地。
いずれにせよ音楽文化が根強いまちなのかな、って思うんです。
要するに「音楽のまち!」って言われると、楽器というよりそれを演奏する人がたくさんいたり、なにか特別なジャンル・音楽文化があったりする場所というイメージがあるんです。
※あくまで個人の主観です。
浜松のランドマークタワー、浜松アクトタワーも“音楽のまち”を印象付ける建物。
学生時代、浜松に4年弱暮らしていた僕は、いたるところで「音楽のまち、浜松」というフレーズは耳にしましたし、なんといってもランドマークタワーである浜松アクトタワーがハーモニカの形をしていたり、その近くには世界の楽器が集まる楽器博物館が設置してあったりします。
けど、ここがアジア有数の音楽都市かと言われると・・・。
そんな風に感じていました。僕がおかしいのか・・・?
というかそもそも“音楽のまち”ってなんだ?
浜松出身者が感じる「音楽のまち浜松」の由縁
なんてことを考えていたわけですが、先日、エストリンクス(mitecoの運営元)社員であり浜松市出身の後輩、鈴木ユウゴくんと話しているときにその疑問を解決する糸口が見えてきました。
鈴木ユウゴ
1992年生まれ。浜松市出身で2016年に株式会社エストリンクス入社。記事作成事業部に配属。山口とは大学時代の先輩後輩の関係で、編集長の吉松とは大学の同期である。顔も性格もイケメンという非の打ち所がないスペックを持つ。
山口 | そういえば、前にあおいちゃんと吉松の記事※にも出てきたけれど、これくらいの時期の浜松市内では、ラッパの音が夕方から夜中にかけていたるところで流れるよね。 |
ユウゴ | そうですね。浜松市民にとっては風物詩みたいなものかも。 |
山口 | あんなに大きなお祭り自体、静岡市出身の僕にはなじみがないというか・・・。
「静岡まつり」は市民団体をはじめとして会社や団体で参加するイメージなんだけれども、浜松まつりって市民がみんなで盛り上げている印象があって。
ユウゴくんもやっぱり参加してたの? |
ユウゴ | 大学生になるころにはすっかり疎遠でしたけど、小・中学生のころにはよく参加してましたよ。「組」と呼ばれる町内会みたいな集まりごとで引き回しの屋台を出すんですが、僕の組はわりと参加率が高かったですね。
ラッパ隊(屋台の引き回しには参加せずにラッパを吹く係の人たち)を希望したこともあったんですが、そのときは春前くらいから練習にも・・・。 |
山口 | 練習? ラッパ吹いてたの? |
ユウゴ | え? あ、はい。吹いてましたね。いまはわからないですけど、前は吹けましたよ。 |
山口 | えええ・・・。あれって、一部の人がずっと吹き続けるもんかと思ってた。 |
ユウゴ | それも組によって違うんですけど、僕のところはそういう感じではなく、毎年のように子どもたちが参加してて、ラッパ隊を希望して練習する人も多かったです。
こういう人はだいたいラッパが吹けたように思います。 |
山口 | なんてこった・・・。町内会レベルでそんなにいるんじゃ、町全体で見たらもっとすごいんじゃない? |
ユウゴ | たぶんですけど、浜松市民ってかなりの割合でラッパ吹けると思いますよ。 |
山口 | マジかよ。 |
な、なんと!! 浜松は立派に音楽文化が根付いているんじゃないか、これは。市民の多くがラッパを吹けるという町であれば、誰もが「音楽のまち」として納得のハズです。
がぜん気になってきた・・・。
というわけで、「浜松ってラッパを吹ける人口が多い町なの!?」を調査しにいざ浜松へ!!
管楽器が身近にあるのが当たり前だったライターさんと!
浜松市へとやってきました。最初の目的地はここ。
僕の母校、静岡文化芸術大学です。
まずは「専門家の意見を聞きたい!」と思って、大学の先生に会いに来たというわけです。
浜松在住でラッパ経験もあるライターの米田さんと一緒に。
米田愛瞳 (よねだえみ)
1994年生まれ。浜松市で生まれ育ち静岡文化芸術大学に進学。大学でも吹奏楽部に所属するなど、浜松で楽器と一緒に過ごした。2017年3月に大学を卒業し、春からは就職して社会人に。山口の大学の後輩である。
※この記事の取材は2017年2月に行われているため彼女はまだ大学生でした。
山口 | 今日は忙しいところ来てくれてありがとう! |
米田 | いえいえ。今日はなんの取材ですか? |
山口 | 浜松はもしかしてラッパを吹ける人がめちゃめちゃ多い!? っていうのを調べに。 |
米田 | あ、それすごく気になります! 私も浜松まつりでラッパ吹いてましたよ! |
山口 | だよね。それで来ていただきました。たしか吹奏楽もやってたよね? |
米田 | そうですね。浜松まつりでラッパを吹かせてもらったのをきっかけにブラスバンドに関わるようになったというか、町内のブラスバンドに入ってみたらそこで浜松まつりのラッパに出会ったというか。どちらにせよですけど、小さいころから管楽器は身近な存在でした。 |
山口 | (ユウゴくんとも少し違うけれど、やっぱりラッパに出会える環境がほかの町よりも多いのかもしれない) |
米田 | 早く行きましょう! |
山口 | え? あ、はい! (なんかめっちゃ先走ってる) |
というわけで、この疑問を解決するのにピッタリな先生のいらっしゃる教授室へふたりで向かいます。
浜松は日本一ラッパを吹ける人の割合の多い町かも!
山口 | はい。ここが本日お話しを伺う先生のお部屋です。 |
米田 | 私は学科が違うのであまりお目にかかったことはないですが、わくわくしますね。 |
――コンコン(ノック)
?? |
はーい! どうぞー。 |
山口 | 失礼します。今日はお忙しいところありがとうございます。 |
?? |
いえいえ、まあとりあえず座ってください。 |
米田 | ありがとうございます。失礼します。 |
こちら静岡文化芸術大学の文化政策学部芸術文化学科の教授、奥中先生です。
奥中康人 教授
日本における西洋音楽の文化変容を主な研究テーマとし、明治期の音楽行政、教育についての研究をしている。静岡文化芸術大学には2011年より赴任、2016年からは教授として教鞭をとり、浜松まつりをはじめとしたさまざまな地域の音楽文化についてのフィールドワークや調査を行っている。
著書:『幕末鼓笛隊―土着化する西洋音楽』(大阪大学出版会、2012年)
『国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代』(春秋社、2008年)
『和洋折衷音楽史』(春秋社、2014年)
『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』(共著、津金澤聰廣・近藤久美編、世界思想社、2006年)など
山口 | 今日はよろしくお願いします。 |
奥中 | こちらこそ、よろしくお願いします。 |
山口 | さっそくで恐縮なんですが、ずばり「浜松ってラッパを吹ける人の割合が多いまち」なんでしょうか? |
奥中 | もちろん正確な統計はないんだけれど・・・。少なくとも私が知っている町のなかでは一番多い。というか、おそらく「浜松が一番、人口あたりでラッパを吹ける人の多いまち」といっても差し支えないと思いますね。 |
山口 | に、日本一。すごいとこまでいったぞ・・・。 |
奥中 | あくまでも印象にすぎないのですけどね。
ただまあ、リップリード(金管楽器で使われる唇を震わせて音を出す仕組み)の楽器って音を出すこと自体も難しいし、そのなかでさらにラッパに限定して吹ける人ってなると・・・。
世界のなかには、住民のほとんどが金管楽器を吹ける、という村もあるかもしれないけれど。 |
山口 | 国内に絞って、ラッパを吹ける人口だと・・・。 |
奥中 | これはもうぶっちぎるんじゃないんですかね。「じゃないんですかね」って言い方しかできないところは申し訳ないんですけど。 |
奥中 | うーん。米田さんは浜松の出身だったよね? |
米田 | そうですね。○○の出身でした。 |
奥中 | あー。あそこか。ラッパ隊はこども会とおじさんたちだよね? 人数はどれくらいでした? |
米田 | さすがお詳しい。そうです。私のときは子どもだけで10~20人くらい、そこに大人が15~6人はいたと思います。 |
奥中 | てなるとだいたい、30人くらいの編成だと思うんですけれども・・・。どの町内も同じような規模でやってて、浜松まつりに参加する組は全部で160~170くらいだから・・・。 |
山口 | どんぶり勘定ではありますが、毎年浜松まつりでラッパを吹いている人が5,000人前後いるということに・・・。 |
奥中 | そうなんです。しかも、いまはまつりに参加していないような方でも吹けるよー。なんていう潜在的な部分まで含めて考えてみると、もっと多くの人がラッパを吹けるハズなんですよね。 |
米田 | あ、そっか。兄弟でラッパを渡したりするようなこともありました。ああいうのがたくさんあるし、おまつり自体も長い歴史がありますから・・・。 |
山口 | 一般市民のなかでラッパを吹ける人が1万人くらいいたっておかしくないことに。これはいよいよすごいぞ。 |
浜松まつりのラッパのルーツってなんだ?
山口 | どうやらものすごい人数の浜松市民がラッパを吹けそうだということがわかりました。その歴史についても興味がわきます。そもそも浜松まつりで、ラッパが使われるようになったきっかけみたいのはあるんですかね・・・? |
奥中 | ラッパ自体はもちろん江戸時代にはなかったわけで。文明開化になってヨーロッパの音楽と一緒にラッパも入ってきたんですけど、これは軍隊で使うためのものだったんですね。
で、浜松まつりのそれってどうなってできたのかというと、消防組というのが大きな役割を果たした、という近年の郷土史家の見解に私は賛同しています。
やっぱり軍隊と一緒で、力を合わせて取り組むときには合図が必要になるわけじゃないですか? 「放水はじめ!」とか「放水やめ!」みたいなやつです。
いまでこそいろいろな大きな音がでる拡声器やサイレン、遠距離通信できる機器がありますけど、当時はラッパだったんですね。 |
山口 | ほかの説もあるんですか? |
奥中 | もうひとつあるのが、浜松に駐屯していた軍隊が訓練なんかで使っていたラッパやフレーズを用いたというもので、むしろこっちのほうが有名かもしれません。
こちらの場合はルーツとしては第二次世界大戦のころとなるので、私の賛同している説よりも新しいお祭りの形ということになりますね。 |
山口 | たしかにどちらもあり得そうな話ですね。 |
奥中 | ですねえ。やっぱり凧揚げにしろ屋台にしろ力が必要なものなので、消防隊とか兵隊さんがそういう部分を担っていた可能性も大きいですし、そこに鳴り物としてラッパが持ち込まれていた、というのは十分にあり得る話ですよね。 |
山口 | そんななかで、奥中先生が消防隊の説を推すのにはどんな理由があるんでしょう? |
奥中 | 浜松まつりといえば、ひとつの「町(自治会)」ごとに出し物をするように見えますが、じつは凧揚げ会という、浜松まつりのための組織が大きな役割を果たしています。
この凧揚げ会が、地域ごとに自治会とは違う割り振りで組織を「組」として分けているのですが、これが戦前までの「消防組」の名残だろうと言われているんですよね。ここに賛同する形です。 |
米田 | あ! たしかに! |
山口 | そう聞くと、消防団のお兄さんたちが地域の子どもやおじさん達と一緒に凧揚げをしている絵がイメージしやすいですね・・・。あの威勢のよさも地域ごとの消防団が競い合うような文化から登場したのかも。 |
やっぱり楽器メーカーと関係しているの?
研究が高じていろいろなラッパを集めるようになったということで、奥中先生の研究室には珍しいラッパコレクションが・・・。
山口 | で、ルーツを聞いたところでなんですが、浜松という場所柄、ここでラッパが広まったのは楽器メーカーが多いこととも関係あるかな、なんて思ったんですが実際のところはどうなんでしょうか? |
奥中 | あ、それみんな思うよね。私も最初はそう思ってたんです。でも、調べてみるとじつは浜松まつりのラッパと浜松の楽器メーカーはまったく関係ありませんでした。 |
山口 | ええ!? 管楽器でいうとヤマハのイメージがありますが・・・。 |
奥中 | なんですけど、じつはヤマハさんは教育関係の楽器やオーケストラやブラスバンドで使うような楽器を専門にしてて、軍隊ラッパは作っていないんですよ。
そもそも、いまお祭で使われているラッパもそこまで精度が高い楽器は使われていなくて、数万円程度で購入できるようなものなんです。 |
山口 | あ、そうなんですね。じゃあ、あんまりチューニングというか・・・音程とかは合うようには。 |
奥中 | できてないですね(笑)まつりでの演奏自体もチューニングに重きが置かれたものではないので、同じメーカーの同じものでも多少ずれてるという・・・。
とはいえ、おまつりの鳴り物として使う分には問題ないし、入り口を広く取る意味で、できる限り安く作るのはある種の正解ですよね。 |
このあと奥中先生が所有するラッパの数々や、研究資料として収集した昔の楽譜の数々を見せていただきながら、あまり表には出てこないような西洋音楽が日本にどのように受け入れられて、定着していったかについてのお話しをいただきました。
昔の楽譜。よく見るといまの楽譜とはちょっとずつ書き方が違うとわかるはず。
とてもおもしろい話でしたが、浜松のラッパとは直接関係のないようなところだったりするので今回は割愛。気になる方は文化芸術大学の門を叩いていただくか、先生の著書を読んでみることをおすすめします!
奥中先生の著書はいずれも西洋音楽がいかにして日本に持ち込まれ、そして享受されたのかについて掘り下げられています。
ちなみに上の画像の赤線の部分。じつはこれ、浜松まつりで使われるラッパのフレーズそのままなんです。軍隊の行進曲のひとつとして軍用譜面集に記載があったとのことで、すでに80年以上も昔のものだとか・・・!
じゃあ、実際そうなのか? 浜松市街中で大調査
15年近く、現地での調査も含めて研究を続ける奥中先生からお話しを伺い、浜松はラッパを吹ける人が多いということはどうも本当だとわかってきました。でも、あくまでもここまでは推論や専門家から話を聞いたというだけですよね。
やっぱりここは、自分たちの目でも確かめてみたい。ということで、
街頭インタビューで、どれくらいの人がいるかを調査してみます! ルール設定はこちら。
「浜松の人はラッパが吹ける!?」調査ルール
- ラッパを吹けるか否かの基準は「現在吹ける、過去に吹いていた人」
- 聞いたら必ずどちらかに記入
- 選定基準は設けず老若男女に調査 ※ただし浜松出身者限定
- 場所は浜松駅から有楽街付近
以上で、聞き込みをします。では、行ってみましょう!
山口 | あの、すみません。私、かくかくしかじかの者でして、いま「浜松の人はラッパが吹けるのか?」ということを調査しているんですが・・・。 |
――あー。すみません、ちょっと急いでいるので・・・。
まず、聞き込みのハードル高い!(苦笑)
米田 | これは大変そうですね。 |
山口 | うーん。地道にやっていきましょう。 |
夕方ではありますが、平日の夕方ということもあって、人通りもあまり多くなくしかも急いでいる方も多いので、なかなか調査が進みませんでした・・・。
しかし数分後、通りがかった青年に話しかけてみると。
米田 | あ、すみません。私、mitecoっていうWEBマガジンでかくかくしかじか――。浜松ご出身ですか? |
男性A | あ、そうです。 |
男性B | 僕もそうですね。 |
山口 | ラッパを吹けるかという調査をしているんですが、もしかして吹けたりとか・・・。 |
男性A | 吹けます! |
男性B | 昔吹いていました。いまはわからないですが、たぶん。 |
米田 | おおお! いましたね! |
という感じで、吹ける方発見!
こんな感じで、インタビューを続けていきましたが、ちょっと写真は・・・という方も多くて経過は割愛(ごめんなさい)。そして、暗くなってきたため終了!
その結果は・・・
・・・
ででん!
総勢35名に話を聞いて、
- 吹ける:10
- 吹けない:25
約28%の方が「吹ける(吹けた)」を回答
という結果になりました。街中で声をかけていったら、だいたい3人から4人に1人は「ラッパ吹けるよー」って言われるってすごくないですか!?
※統計上、正確な数字とするにはサンプル数が不足しているため、あくまでmiteco編集部の調査で得られたひとつの参考とお捉えください。
浜松は3人に1人はラッパが吹ける街でした
こうしてちょっとした疑問からはじまった今回の取材。調査で印象的だったのは、浜松出身の方にとっては当たり前にラッパ、ひいては音楽という存在が身近にあることです。
街角で話を聞いていても、小学校のころからブラスバンドをやっていたという方や、普段はまったく音楽活動をしていないけれど、祭りになるとラッパを持って参加するという方が何人もいました。
なにをもって“音楽のまち”とするにはさまざまな解釈があると思います。クラシックの演奏家が多いことやロックバンドがたくさんいることもひとつの捉え方。もちろん、楽器メーカーが多いというのも大きな理由になると思います。
ですが、こうして楽器に触れる機会があって、みんなが楽しめる、知っている、そして口ずさめるメロディーを持った街というのは“音楽のまち”というのに十分すぎるって僕は思いました。
今年ももうすぐ浜松まつり。市民が楽しみにしている3日間にぜひ足を運んで、地元ならではの音と雰囲気に興じてみませんか?