じつは静岡発祥&オンリーの「横断バッグ」
子供の安全を願う優しい理由
静岡市発祥のもの、静岡市オンリーのもの。県庁所在地であり、多様な文化を育んできた町だけに、さまざまあると思います。
しかし子供達にお馴染みの“アレ”もそうだったとは知らず、知人に教えてもらって驚きました。
通学中や塾に通う子供達が手に提げて歩く、黄色い横断バッグ。
筆者は同じ静岡県でも伊豆出身なので、馴染みはなかったものの、普通に全国で流通しているものとばかり思っていました。おそらく、同様の認識の人が多いのではないでしょうか……。
持っているととても目立つ、この横断バッグ。これが誕生した背景などを知るべく、静岡市の駿河区で営む「横断バッグのミヤハラ.,」に伺ってきました。
「交通戦争」から子供達を守るために
「横断バッグのミヤハラ.,」社長の杉山妙子さん(右)と娘の司さん。
店舗は静岡市の池田にあります。創業が1950(昭和25)年ということなので、足並みおよそ70年。
妙子さん |
わたしの父が創業して最初のうちは、静岡の地場産品であるサンダルのかかと部分の印刷を事業としていました。横断バッグを始めたのはそれから10年ほど後になります。 |
Takashi |
昭和30年代ですから、高度経済成長期ですね。 |
妙子さん |
はい。経済が発展して暮らしが豊かになり、自動車社会になって、交通事故が多くなった時期です。静岡市内でいうと本通りのあたりとか、子供が巻き込まれることも多かったそうで……。交通量増加への行政の対応が追いついていない時代でした。 |
Takashi |
そこでこの横断バッグが登場する? |
妙子さん |
ええ。それ以前に市での事故防止対策として、横断用の黄色い小旗があったのですが、それは横断歩道両側に置かれた筒に何本か入っていただけでした。
だから多くの子は持てずに渡っていたんですね。子供の数に比べて本数が少ないなど、浸透しなかった理由があったようです。
子供たちが安全に通学できるようにどうしたらいいか。そこで父が思いついたのがバッグでした。お弁当を入れたり、体操服を入れたりなど、旗とは違っていつも持ち歩ける。そう考えたようですね。 |
創業者のお父さんが最初に考案した、レザーの横断バッグ。
子供たちの安全を願って生まれた横断バッグ。「ミヤハラ.,」はその後50年あまり、これ一筋で歩んできました。
静岡市で育った子供たち。どれくらいの人数にのぼるのか想像もつきませんが長年、陰で守ってきたのですね。
交通安全→防犯対策へ
店内を見渡してみると、いまや元祖だけでなく、さまざまな用途の横断バッグが目につきます。色もピンクや青、緑、黒などいろいろ。
Takashi |
ところで、取り扱いは本当に静岡市のみですか? 私はてっきり、県内はおろか全国に普及していたものと……。 |
司さん |
県内では伊豆以外で広くご注文いただいていまして、県外だと過去は千葉の成田市だけでしたね。だからみなさんそのようにおっしゃいます。「全国共通のものと思っていた」と……。
いまは愛知県や愛媛県、奈良県などからの注文もいただいておりまして、サービスエリアや雑貨店などにも置いてあるので、昔とは状況が少し異なるかもしれませんね。
素材も昔はレザーでしたが、いまはナイロンが主流です。レザーだとお子さんには少し重いかなということで。それと、子供の安全を守るという視点から交通事故だけでなく、次第に防犯も考えるようになりました。 |
Takashi |
たとえば誘拐とか、痴漢とか。 |
ハンカチ入れやお守り入れなどもある。
司さん |
一番小さいものには、いざというときのために防犯用の笛が入っています。最近の子供達は防犯ブザーを持ち歩いているようなのですが、ブザーだと電池の替えが必要らしくて。電池を替え忘れたりすると大変じゃないですか。なので、当店では笛を。 |
Takashi |
なにから身を守るべきかが時代とともに変わり、それによってミヤハラさんの商品展開も変わってきたんですね。 |
「連れ去り」から子供達を守るために自社制作の絵本『おにのいす』。
商品デザインについて意見を交わすおふたり。
おふたりがパソコンを前に交わしていた会話に耳を傾けていると、防犯の視点からどのような商品がふさわしいのか、子供の立場になって思案する姿勢が伺えました。
横断バッグの出荷数は現在3万点ほど(2017年3月時点)。「こういうものを作ってほしい」と、地元のお母さん達から要望を受けて制作したものもあるそうです。
常に子供の安全と寄り添ってきた「黄色の横断バッグ」。誇るべき静岡の地場産品です。