ふくろうおじさんが僕に教えてくれたこと
灯台もとぐらし編
こんにちは、編集部の山口です。
いけふくろうの石像をはじめとして、石の彫刻やサンドブラストといった手法で作品を作り続ける静岡県島田市在住のアーティスト、“ふくろうおじさん”こと土屋誠一さんのミニギャラリー「誠一庵」に来ています。
前回は、ふくろうおじさんがどのようにしてアーティストの道に入ったのか、そこにはどんな苦労があったのかについてお伺いしました。
ここからは、探求心を持ってどんどん彫刻の深い世界に挑戦していく原動力や、作品作りで大切にしていることに迫っていきます。
夢中になって気づいたら日が暮れて・・・を繰り返していたら30年
山口 |
ここまでたくさんの作品を作ったこと、そしていけふくろうが多くの人の目に触れることの楽しさについてお伺いしました。約30年間も作家活動を続けてきた土屋さんですが、いまでも彫刻やサンドブラストに打ち込むことはやっぱり楽しいですか? |
土屋さん |
そりゃ、もう楽しいよ(笑)だって30年近く続けられることってそうないでしょ? |
山口 |
・・・そうですね。僕はまだその30年を生きてすらいないですから、途方もなく感じます。 |
土屋さん |
30年は難しいよね。でも僕が感じる「楽しい」は、すでに山口くんも体験していることだと思うよ。たとえば、小さいころに夜遅くまで漫画や本を読んでて親に怒られたことってあるよね? |
山口 |
ありました、ありました。 |
土屋さん |
もう夢中になっちゃって周りが見えない。顔を上げてみたらもう真っ暗。いまでもそんなことばっかだよ。 |
山口 |
たしかに好きなことって、本当に自分でもびっくりするくらい夢中になっていることがありますね。 |
土屋さん |
僕にとっての作品づくりはまさにそうで、彫刻なんかはそれはもうすごい時間がかかるもので。朝からやって日が暮れて、それで夜になって「もうやめようか」と思ってここを出るんだけど、また気になってきて戻っちゃうなんていうのもあるくらい。 |
山口 |
打ち込めるものをするってだけで、好きというのはどんどん深まりますものね。 |
土屋さん |
そう。あとは“残る”ということ。自分の作った作品って処分されない限りは残るじゃないですか。自分が死んだあとに、なにか残るのを嫌がる人もいるかもしれないけれど・・・。
でも、自分の作品は石だから残るよね。で、それが300年も400年もあとになっても見られるってすごく面白くない? そのときその人はどう思うんだろう、とかさ。 |
山口 |
たしかに。ただ僕は、自分の書いた記事が見られるのはちょっと恥ずかしいです(笑) |
作品にふくろうおじさんが込める“マインド”
山口 |
ふくろうおじさんが作品を作るうえで、大切にしているものってなんですか? |
土屋さん |
僕が表現として大切にしているのは「マインド」。すごい作品を見たとき、なんかこう、心に伝わる「はっ」とするようなものがあって。人でいえばオーラみたいなもので、なんといえばいいのかわからないけれど。それって、その作品に「なにが込められているか」が大きいんじゃないかと思っているんです。 |
山口 |
言葉にできない感動みたいのというか、作品を見て震えることはありますよね。 |
土屋さん |
インターネットで検索してみても、とんでもないものが出てきたりすることもあるよね。 |
山口 |
土屋さんのようなアーティストの方にもそんなこともあるんですか!? |
土屋さん |
だって素晴らしいと感じる心はアーティストとして一番大切だから。そういうの見ると、「うわー。これはすごいなぁ。負けたなぁ」って思うこともある。有名とか無名とかは関係なくて、そういうのを目指したいと思っちゃう。 |
山口 |
アーティストといっても、それぞれ大切にしているものがあると思うんです。土屋さんが大切にしたい“マインド”とはなんでしょう? |
土屋さん |
最近はお地蔵さんをはじめとして、石を使って造形することがメインで。作品を見て“癒される”とか“ほっとする”というのを与えられればと思ってやってるよ。 |
山口 |
それが「伝わったなぁ」と実感することはありますか? |
土屋さん |
たとえば、僕の作品を見る人のなかには、複雑な事情を抱えた人やちょっと心が疲れてしまっているような人がいる。そんな人があるとき僕の作品を見てね、拝んだり目に涙を浮かべたりするようなことがある。 |
山口 |
拝む・・・。 |
土屋さん |
なにか大切なものを思い出すようにじっとしていて。それから、ほかの人なんだけど僕の作品を買ってくれて、それを大事そうに抱えて帰っていくなんていうこともあったんだ。
そんな光景を見ると、誰かに届けるということの大切さに気付いたり、なにかの役に立っているんだなと、こっちも感謝したりとそういう気分になるんだ。 |
“自然”であるということ
山口 |
そうした、癒されたりとかほっとさせたりする、言ってみれば「真心」みたいな部分だと思うんですけど。 |
土屋さん |
真心、っていうのはいいね。 |
山口 |
ありがとうございます。作品にはどのような形で表現するのでしょう? |
土屋さん |
さっきのような人たちって、みんなそれぞれで悩みや不安や悲しみを抱えていることが多くて。お子さんや親を亡くされたり、なにか不幸な出来事があったり。
そんな人たちを癒せることってなんだろうと思うと同時に、そうじゃない人が必ずしも同じように感じる必要もないのかもしれない。気が付かないなら気が付かないでいいよとも思ってるんだ。 |
山口 |
それでもいいんですね・・・ちょっと意外です。 |
土屋さん |
いや、だってその人は“いまは必要ない”って思っている人じゃない? 僕が届けようとした心は、必要なときに必要なように届くのが大切。その表現の一環というか、作品は自然から採れた石で自然に作ることを心がけているんだ。 |
山口 |
自然、ですか・・・? |
土屋さん |
そう。粗削りで自然の形が残ったゴツゴツしているような作品が多い。だから、本当に気が付かなくて通り過ぎて、言われてから「あれ? これ作品なの?」みたいな反応をもらうこともあるくらい(笑) |
山口 |
それはアーティストとしてちょっと寂しい、と思ったりすることはないんですか? |
土屋さん |
いや、悩みを持たない人はいいんだよ。だって、興味を持つ人が見てはじめて作品になるんだから。本当は自然のなかにあるんじゃないかな?って思ってて。
だから、僕の作品は自然のなかに溶け込んで、馴染んで、それでなにかの拍子に気づく。「あれ?」って。そういうのが日本の心というか、“詫び寂び”なんじゃないかなって個人の解釈だけど。 |
誠一庵の入り口の前には所せましと石が置かれているんですが、なかには作品も混じっています。ふくろうおじさんの詫び寂びを感じますね。
山口 |
あーなるほど! アートといっても「どうだ! これがアートだ!」みたいなものじゃなくて、もっと自然でありふれたもののなかに潜むような、そんなものを作りたいということなんですよね?
たとえば道祖神や神社、ちょっとした風景みたいな。そういうのがふとした瞬間にすごく感動を与えてくれることってありますよね。 |
土屋さん |
まさに。でも、やりすぎはよくない。あんまり完璧な日本庭園だと、それがかえって不自然になっちゃうというか。京都とかにある有名な庭園とかね、かえってきれいすぎちゃうって思っちゃうことすらあるよね。
だから手入れしない自然に、僕の作品をポンと置いてもなんか馴染んじゃう。そんな風なものが作りたいなぁって思ってるよ。
残るっていう話をしたけれど、それは自分の作品が本当の意味で自然になじむっていうのが見てみたいのかも。まぁ、もうそのころには僕自身は見れないけれどね。 |
“蓬莱橋”という理想の場所
山口 |
僕がふくろうおじさんと出会ったのは蓬莱橋でした。どうしてあの地でテントを張ろうと思ったのでしょう? |
土屋さん |
さっきまで話していたことの延長にあって。自然との調和、自然の中にある人工物って僕はすごく素敵で理想的なものとして捉えている。
地元を見渡したときに、それ“蓬莱橋”だよって思ったの。それがちょうど2年前くらい。そこから準備をして2015年5月にブースを開始したんだ。 |
山口 |
理想を求めてたら案外身近にあったんですね。 |
土屋さん |
そんな感じだね。あと正直なところ、もう先を見ないといけないなとは思ってて。体力的にもできてあと20年とか・・・。そうなったときに、あんまりあっちこっちで根無し草で動くのも、って考えて、どこかに腰を据えたいな、と。 |
山口 |
それまで、全国中に作品を出していらっしゃいますものね。 |
土屋さん |
それはもう、北は青森から島根や四国かな? 結構動き回ってて。 |
山口 |
それでそろそろ地元にどんと構えてというわけですね? |
土屋さん |
そうだね。1年に1~2回はどこか県外で個展やりたいとは思っているけれど。 |
蓬莱橋で出会う人との関わり
山口 |
腰を据えて制作も展示も販売も地元がメインになってきた土屋さんですが、今後の展望としてはどうでしょう? |
土屋さん |
そうだなぁ。ゆくゆくは “名物おじさん”みたいな感じで、なんか蓬莱橋にいくと石ころを彫ってる人がいるぞ、みたいなのはいいな。面白いなって。 |
山口 |
それはおもしろそうですし、観光にも結びつきそうです。 |
土屋さん |
観光というのは僕は“人”だと思っているから、そうなったら嬉しい。もちろん観光地の有名スポットも食べ物もいいけれど、でもそこに居る人と会うこと、話すことが旅行というかお出かけの醍醐味だと思っているんだ。 |
山口 |
それは土屋さんがおっしゃっている、「自然と調和」にも近いのかもしれませんね。その地の風土が育んだ人や文化を直に体験することが大切、みたいな。 |
土屋さん |
そう思う。作られた観光地よりも旧道のそれまた旧道のなかにある、すごく地元向けな居酒屋さんみたいな、そういう雰囲気がいいなぁって思うんだ。 |
山口 |
すごく共感です。まさにローカルというかmitecoで紹介したいことだったりもするので・・・。だいたい、蓬莱橋を渡ってみたら“いけふくろう”作った人がいるなんて、しかもそんな人がそこで記念品を作って売ってるって、なんだそれって思いますよ(笑) |
土屋さん |
そのギャップは僕の面白いとこだなって思うよ(笑) |
山口 |
僕もファンのひとりとして、もっと蓬莱橋の向こうの「不思議空間」が広まってほしいなって思います! |
土屋さん |
ありがたい。そのうちあそこにミニギャラリーができちゃったりして(笑) |
山口 |
そりゃすごい。実現したら面白そうですね。というか、そのときはまた取材させてください! |
土屋さん |
ぜひ! 僕も若い人のパワーにあやかりたい!(笑) |
山口 |
いやいや、がんばります。 |
このあと、誠一庵のなかにあるギャラリーを拝見させていただきながら、島田市や静岡のことについてお話しをしてきました。ふくろうおじさんはアーティストとしてだけでなく、ひとりの静岡人として積極的になにかを動かそうとする、そんなアクティブな方でした。
最初はアーティストの方をきちんと取材できるかなと不安にでしたが、ふくろうおじさんは若輩者の僕にも優しく柔らかく接してくれる方で、むしろ助けてもらうような形になってしまいました。そうした性格や雰囲気が作品にも表れているなぁ、と感じます。
ぜひなにかに迷ったとき、あるいはほっとしたい癒されたいと感じたときは蓬莱橋を渡ってみてください。ふくろうおじさんやその作品が、あるいは蓬莱橋や自然の風景がその悩みに対しての答えを教えてくれるかもしれませんよ。