清水次郎長はどうして清水のヒーローなの?
さくやちゃんと歩く 清水区次郎長ツアー!
こんにちは! 静岡市の非公認ご当地キャラをしている、さくやちゃんと申します!
以前「『清水港線』跡をめぐる町歩き」をご紹介しましたが、今回も私が愛してやまない町清水を歩く、ちょっとマニアックなツアーを考えました!
街道一の大親分こと、幕末の侠客「清水次郎長」。現代の言葉で言えばヤクザ者であった彼ですが、清水ではヒーローとまで言われています!
ですが平成生まれ、特に私と同世代ともなると、次郎長さんについて知らない方も多いみたい。というわけで今回は、今一度次郎長さんの活躍を知る「清水区次郎長ツアー」にご案内です!
清水次郎長の足跡を辿る
最初に次郎長さんがどんな人なのか紹介してしまおうと思ったのですが、せっかくのツアーですから、スポットに足を運びながら次郎長さんの活躍や生涯を紹介していきたいと思います!
各スポットは次郎長さんが関わったさまざまな出来事・事業に関係しています。今回は徒歩で周りやすいルートになっているため、時代がバラバラで混乱しちゃったらごめんなさい!
清水港船宿記念館 末廣(すえひろ)
今回のスタートは、清水区港町にある「清水港船宿記念館 末廣」から。区外の方は「ここどこ?」だと思いますが、JR清水駅からバス一本で目の前まで来ますのでご心配なく!
末廣は次郎長さんが晩年に経営していた船宿です。次郎長さんが侠客・親分として抗争の世界に身を置いていたのは幕末まで。
明治維新後は、駿河に隠居していた徳川慶喜公の護衛を務めたことに始まり、自身の知恵と顔の広さ、交渉術を活かして、今の清水港の発展にも繋がるさまざまなことを行いました!
活躍の内容は順番に紹介していきますが、末廣はそれらの活躍も落ち着いた次郎長67歳の年に開業し、次郎長さんが亡くなった数年後に売り払われています。
平成になってから地元の次郎長研究会である『次郎長翁を知る会』が、かつての建築に使われた素材を見つけ、市の協力の元それを用いて復元したのが現在の「船宿記念館 末廣」です!
現在の末廣は、当時の船宿の部屋のつくりを伝える時代施設としての価値も高いですが、次郎長さんに関連する貴重な品も複数展示されています!
施設の奥には蝋人形で旅装束の次郎長さんが! 旅装束を着て記念撮影もできますよ!
2階に上がると、当時の生活に使われていた品とともに、英語塾の様子を再現した蝋人形が並んでいます。
明治に入ってから廻船問屋※経営者を結び付けるなど、貿易の発展に力を注いでいた次郎長さん。「これからの若者は英語ぐらい話せなくてはだめだ」と、当時では非常に珍しい英語塾を清水に開設したという功績の紹介となっております!
一階では次郎長グッズの販売のほか、次郎長さんの逸話をもとにした『ゆび饅頭』※と静岡茶のセットも販売されています!
※廻船問屋:海運業者と荷主との間を取り次ぎ、貨物運送を行った問屋。
※ゆび饅頭の逸話:次郎長が店頭のまんじゅうを指で押しつぶし、「これでは売り物にならない」と持ち帰り子どもたちに配ったという話。
清水次郎長の船宿末廣
次郎長宅跡
末廣から出て港に向かって進み、横断歩道を渡った先にひとつ石碑があります。「次郎長宅跡」と書かれていますが、こちらは実際に末廣があった場所になります!
晩年の次郎長宅であることは間違いないのですが、次郎長の生家と紛らわしい気がしなくもないです。手前に末廣の簡単な紹介が埋め込まれていました。
次郎長宅跡
次郎長堤(じろちょうづつみ)
そのまま港に沿って進みますと、遊覧船乗り場の裏手へ! こちらはかなりマニアックというか、看板がないと気が付かないほど放置された史跡。
車が停まっている足元の辺りの石垣が「次郎長堤」の跡。次郎長さんは近代清水港の発展にも関わっていて、今の静岡がお茶の町と呼ばれる所以のひとつにもなっています!
先ほどの末廣から近かったのもあって、地元の人が親しみを込め次郎長堤と呼んでいるよう。実際は名前が付いているわけではないのですけどね!
次郎長堤
壮士の墓(そうしのはか)
港をあとにして、末廣まで戻ってきます。港橋のほうを向き、左方の道へ進んでいくと、敷地内にひとつだけ墓石のある空間が。こちらが「壮士の墓」です。
こちらは次郎長さんの功績というよりは、人情を感じるエピソードに関係のあるスポット。戊辰戦争のさなか、明治元年に起きた「咸臨丸(かんりんまる)事件」によって斬り殺された戦没者が眠る場所です。
地元の役に立ったからではなく、その生き方・心意気が愛される所以がここにあります。
嵐にあい、修理のため清水港へ入港した旧幕府軍が乗る咸臨丸。しかし新政府軍に見つかり、砲撃を受けます。白旗を掲げ降参した咸臨丸乗組員たちの想いもむなしく、新政府軍は船に乗り込み、惨殺していきました。死体はそのまま海に投げ捨てられてしまいます。
その後新政府軍は、「賊軍を弔うものは同じ扱いを受けることになるぞ」と死体の回収さえ許さず、清水港は死臭が漂うひどい様相だったそうです。
漁にも出られず、港の民は大変困っておりました。そこで深夜のうちに次郎長は死体を回収、現在の壮士墓がある無縁墓地へ埋葬しました。
当然駿府藩士による取り調べを受けることになるものの、次郎長は「仏に官軍も賊軍もない」と言い切り、咎められることはありませんでした。
この話は山岡鉄舟※と次郎長の交流が始まった美談とされており、その後清水の発展に尽くすことになる次郎長の転機の出来事ともいわれています。
敷地内には上記した咸臨丸事件のことや、次郎長さんの人情を称える文が彫られた石碑が並んでいます!
※山岡鉄舟:幕末~明治時代に活躍した幕臣であり政治家。武術・禅・書の達人だった。
壮士の墓
次郎長生家
港橋まで戻りまして、今度は橋を渡って2本目の道を左へ! 商店街になっていますが、こちらは「次郎長通り」といいます。
しばらく進んだ先にある瓦屋根の建物が、「次郎長生家」。次郎長さんの生まれた家ですね!
施設内は次郎長さんが生まれた当時の長屋の雰囲気を残したまま、当時の家具や次郎長さんの私物展示する資料館になっています。
200年前の建物ということで、老朽化も進み倒壊の危機にありましたが、2017年に有志の寄付やクラウドファンディング協力を経て耐震工事を実施。観光スポットとしてもさらに魅力的な形に生まれ変わりました!
2018年3月には、国の登録有形文化財にも登録されているんですよ!
次郎長生家では次郎長さんの活躍が年表で紹介されています。明治維新後の清水港の発展や富士裾野の開墾など、ここまで紹介した出来事以外にも、静岡の今につながる偉業をたくさん成し遂げています!
次郎長グッズが揃ったお土産売り場もあるので、気になる方は立ち寄ってみてくださいね。限定販売されている、次郎長さんの勝運にあやかった願いの叶う札「金の勝札」が人気です!
次郎長生家
美濃輪稲荷神社
次郎長生家から出て、そのまま進んできた方向に直進。赤鳥居をくぐった先に「美濃輪稲荷神社」があります。
こちらは次郎長さんが直接何かをした場所ではありませんが、約400年前から存在した歴史深い神社。三等級社の御神階を賜った、県内最高位の格式高いお稲荷様です!
敷地が広く、毎年初詣にはたくさんの方が参拝されます。数年前に放火で本殿が消失してしまい、現在は綺麗な社が再建されました。
直接は関係ないと言いましたが、神社入口の玉垣には次郎長さんの本名「山本長五郎」の名前が刻まれています!
明治13年に作られた玉垣一本一本に、美濃輪稲荷神社の氏子のほか、現在の清水港の始まりである波止場の完成に携わった廻船問屋や商人の名前も寄せられているそうです。清水をお茶貿易の港として商人たちを結び付けた、次郎長さんの名前も確かにここに刻まれているわけです!
美濃輪稲荷神社
梅陰禅寺
次郎長生家まで戻り、交差点を港と逆方向へ登っていきます。大きな道に出て、次の交差点に差し掛かると見えるのが次郎長さんの菩提寺「梅陰禅寺」です!
お寺なので気軽に立ち入れない雰囲気もありますが、こちらには彼の活躍を紹介した「次郎長資料館」と売店があり、次郎長ツアーには外せません!
次郎長資料館には当時の貴重な写真や関連する私物のほか、次郎長さんの功績・エピソードが絵画として描かれ、説明付きで展示されています。ストーリーと挿絵みたいな具合で、順番に見ていくと、次郎長さんがどのようなことを行ってきたかが全部わかると思います!
次郎長の生家や末廣に比べると、時系列かつ挿絵付きで紹介してくれるこちらが一番わかりやすいかもしれませんね。今回は順番的にゴールに選んでしまいましたが、次郎長さんについて知ってから周るほうが本当はおすすめなので、まず梅陰禅寺へ行くのもアリです!
資料館の先にある庭園の池の上に、リアルな次郎長さんの銅像があります。仮にも侠客の世界に身を置いていた人物として、こういった像が建てられるのは異例のよう。「日本で唯一の侠客の像」とも言われています。
清水で愛され、地元のヒーローとして尊敬されている存在だからこその特別な銅像なのですね!
先に進むと次郎長一家のお墓もあります。最後に参拝をして今回の旅は終了です。
梅陰禅寺
まとめ
今回のツアーも、実際に周ってみないとよくわからない内容だったかもしれません! だって全部説明しちゃったら周ってもらえないじゃないですか!
ヤクザ者だった半面、清水の発展に大きく貢献した次郎長さん。その魅力を伝えるのは、静岡市民の必修科目にしていただきたいくらい。ですが、まずは今回の記事を読んで興味を持っていただいた皆さんに、コースを周って詳しくなっていただけたらと思います!ζζ
さくやちゃんと歩く 清水区次郎長ツアー!全体マップ