オクシズでカメラマンからきこりに転身
「玉川きこり社」原田さやかの歩みに迫る

  • posted.2017/10/18
  • Takashi
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オクシズでカメラマンからきこりに転身 「玉川きこり社」原田さやかの歩みに迫る

静岡市の中山間地域、通称「オクシズ」で、こちらの方を取材してきました。

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静岡市の玉川地区で林業を営む「玉川きこり社」代表、原田さやかさん。愛知県豊橋市出身、玉川在住で、取材日の2か月前に第1子を出産したばかりでした。

原田さんはもともとカメラマンとして、静岡市街中にある出版社でフリーマガジンなどを手がけていましたが、3年前、なんと「きこりさん」に転身。筆者にとっては同業だったこともあり、その動向をSNSで知った際、とてもびっくりしたのを覚えています。

harada_2原田さんが代表を務める「玉川きこり社」社屋。

転身と同時に移住、そして起業。現在きこりの仕事はほかの社員に任せていますが、彼女は代表として、「きこりの6次産業化」という林業の枠にとどまらない試みの中心にいます。

限界集落の取材をきっかけに立ち上げた「安倍奥の会」

原田さんの歩みのなかでまず紹介したいのが、2008年から活動している「安倍奥の会」というグループの存在。原田さんを中心に有志のメンバーで発足、結果として、2014年の玉川きこり社設立につながるステージともなったのです。

harada_3原田さんが愛する玉川の風景。 画像提供:原田さやか

では、「そもそも安倍奥ってどこ?」というところから。読んで字のごとくなのですが、安倍川の奥であり、静岡市が「オクシズ」と呼ぶ地域のひとつです。オクシズは、大きく以下の4つに分類されています。

  • 安倍奥=安倍川上流地域(梅ヶ島、玉川、大河内など)
  • 奥藁科=藁科川上流地域(清沢、大川など)
  • 奥清水=興津川流域(両河内、由比山間部など)
  • 奥大井=大井川上流地域(静岡市内では井川地区)

※詳しくは静岡市経済局農林水産部中山間地振興課「オクシズ」より

安倍奥の会の活動フィールドは、安倍奥のうち主に玉川地区。2016年には静岡市初のウィスキー蒸留所が誕生して話題になりました。伝統芸能の神楽が残る横沢集落、縁側カフェで知られる大沢集落などがあり、ひたすら北上していくと井川に至ります。

玉川地区の紹介マップ。

ただコレといった観光施設はなく、梅ヶ島のように有名な温泉地ということでもありません。安倍奥の会とはどんなグループなのか、街中でカメラマンとして働いていた原田さんが玉川に興味を抱いたきっかけも含め、聞いてみました。

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Takashi

原田さんは、玉川きこり社を設立すると同時に玉川へ移住されましたよね。それ以前の安倍奥の会代表としての活動ですが、発足のきっかけとはなんだったのですか?
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原田

自然発生的に、という感じで、私が玉川と出会った2008年に発足しました。当時、はじめて限界集落という言葉を知り、そこに住む方々に、私が関わっていた情報誌を介してなにかお役に立てないかと考えたんです

 

静岡市に存在する限界集落について調べていたところ、玉川でも最奥の奥仙俣という集落に住む岩崎さんというおばあちゃんを、知人から紹介してもらえることになって。

限界集落というのは、65歳以上の高齢者が住民の過半数を占め、共同体の維持が危惧されている地域のことを指す造語。奥仙俣もそれにあたる地域です。に、してもこの限界集落という言葉。なにか引っかかるというか、胸につっかえるものがある。

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原田

雨の降る日、岩崎さんに会いに、友人と奥仙俣へ行きました。「いらっしゃい」と笑顔いっぱいに出迎えてくれて、自家製のお茶とか料理とか、あたたかいおもてなしまでしてくださって。

 

ゆったりと静かに流れていく時間のなかで、いろんな話をしました。霧と雨に包まれた山の景色と、そこに佇む一軒家で“おかって仕事(台所仕事)”をする岩崎さんの姿があまりにも美しく、その光景がいまでも忘れられません

harada_4奥仙俣に住む岩崎さん。 画像提供:原田さやか

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原田

もともと山に人が住んでるという意識もありませんでしたが、自然に寄り添った暮らしや文化にはじめて触れて、友人と3人で感動していました。

 

仕事とは別でその後もちょくちょく玉川に通うようになって、街に住む人にも玉川を知ってほしいとか、いろんな想いがつのっていって

 

そして一緒に奥仙俣へ行った友人や職場の同僚、町おこし事業に携わってきた人たちなどともに、安倍奥の会を結成したんです。

玉川新聞と玉川マップ発行

安倍奥の会が発足当時から手がけてきた活動のジャンルは多岐にわたりますが、筆者が体験したものでは「流しそうめんまつり」があります。

harada_52010年〜2015年まで開催していた流しそうめんまつり。左奥に浴衣姿でそうめんを流す原田さんの姿もある。 画像提供:安倍奥の会

同イベントは夏、玉川・長妻田集落にある曹源寺という寺院で開催され、毎回500人以上の人が集まる大盛況の催しでした。曹源寺ではほかにもインド音楽ユニットのコンサートなどを実施。原田さん自身もここで結婚式をあげたそうな。

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原田

玉川に人を呼びたいと思っていた私たちと、玉川に住む人たちをつないでくれたのが、曹源寺さんの存在でした。その後、農山村の暮らしを体験できる「栃木の家」を作ったり、玉川に住むおばあちゃんの暮らしや知恵を紹介する新聞を発行したり。

harada_6栃木の家での収穫体験の様子。現在、栃木の家があった場所には「満緑カフェ」という店がある。 画像提供:安倍奥の会

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原田

栃木の家はいまはカフェとして別の方が営んでいますが、そういった店や施設がどんどん増えていってくれたら嬉しいな、と思います。
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Takashi

いまも発行を続けている「玉川新聞」の存在はとても大きいと思う。春夏秋冬で年4回、いまではもう27号ですか。

harada_7玉川新聞では移住者の情報やイベント、現地に住む人の暮らしの知恵などを紹介。

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原田

出版業界にいて編集もやっていたので、経験を活かしたくて。加えていま残っている活動の証としては、玉川のマップ制作ですね。いずれも自分たちの脚で調べてコツコツ作り続けてきました。

harada_8地道な取材の様子。 画像提供:安倍奥の会

これらの足跡を見るだけでも、原田さんや安倍奥の会が玉川にもたらしたものは、とても大きいものと感じました。しかし、玉川きこり社のホームページには、以下のような原田さんの文が盛りこまれています。

限界集落という言葉を知って、そこで暮らす人たちのために最初は何かできることはないかと考えていましたが、与えていただくことの方が多く、逆に、この場所こそ私達人間にとって本当に必要な場所なのではないか…と強く感じました。この玉川を伝えたい、そう思ったのです。

 

玉川きこり社「玉川きこり社の思い」より

「限界集落という言葉はもうつかわない」と言う原田さん。

それは、玉川で暮らす人たちの営みに触れたとき、その語から受けるイメージとはかけ離れた豊かさを感じたから

そして実際に玉川へ移住し起業、結婚、出産……。いち企業の代表としての取り組みに関しては次回、紹介していきます。

後編はこちら

オクシズの豊かさを伝える魅力的なスポット

玉川きこり社

住所:〒421-2222 静岡県静岡市葵区桂山712-4
電話番号:054-292-2730