静岡のDeepな心霊スポット【第8話】
一言坂・挑燈野(磐田市)
戦国時代には、武田信玄軍と徳川家康軍の合戦の舞台となった磐田市一言坂。一言坂を下ったあたりは、かつて提灯野と呼ばれていたようだ。今回は、心霊スポットとして「一言坂(ひとことざか)」と「挑燈野(ちょうちんの)」をご紹介したい。
一言坂・挑燈野にまつわる怖い話
挑燈野の周辺は、「雨の降る夏の夜になると、たくさんの提灯のような火が見える」「鎧を着た武士が地下道を歩いていた」などの心霊現象が報告されている。これらの心霊現象は、武田軍の死んだ武士たちではないかとウワサになっているようだ。とりわけ、地下道は通りたくないという声が多い。
提灯のような火が見えるという心霊現象から、挑燈野と名づけられたという。
なぜ、武田軍の武士たちの霊が出ると言われているのか。そこには、「一言坂の戦い」と呼ばれる、戦国時代でも有名な合戦が関係しているという。
一言坂の戦いの概略
一言坂の戦いは、1572年10月に現在の磐田市周辺で起きた武田軍と徳川軍の戦いである。徳川家康が人生最大の敗北を喫した「三方が原の戦い」の前哨戦とされている。戦いは徳川家の劣勢で退却を余儀なくされたが、じつはそのとき奇策を仕掛けていた。
当時の一言坂は湿地帯。徳川軍はここに呼び込もうと、一言坂付近の松林に火を灯して提灯のように見せるという作戦を立てた。罠とは知らずに深追いした武田軍は沼地に落ちてしまい、徳川軍の反撃を受けたという。その結果、徳川家は窮地を脱して浜松城まで逃げ延びたのだ。
合戦が終わったあと、村人たちは死んだ武田軍の武士をていねいに弔ったという。
現在、夏の夜に万能ボタルという大きな蛍が飛んでくる。これは、武田軍の武士の魂が飛んできているのではないかと、地元の老人たちが語り継いでいる。
歴史から磐田市の心霊スポットを探る
徳川軍の殿(しんがり)を務めた本多忠勝の部隊は、武田軍から「家康に過ぎたるものがふたつあり 唐の頭に本多平八」と賞賛を浴びる。無謀とも思われる突撃をしたことが、武士として高い評価を受けたわけだ。
磐田市というと、インターネットで心霊現象の情報は出てくることはあまりない。しかし、戦国時代の逸話を紐解くと、心霊スポットとしての顔が浮き彫りになってくる。これも静岡ならではの奥深さと言えるだろう。
今回ご紹介したのは磐田市の「一言坂」と「挑燈野」。
今後も静岡のDeepな心霊スポットを紹介していきたい。
※本記事は地元民のウワサをまとめました。信ぴょう性その他について保証するものではありません。