ここが富士山信仰の総本山!
登山者にとっての聖地「富士宮浅間大社」

  • posted.2016/11/05
  • 山口拓巳
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ここが富士山信仰の総本山! 登山者にとっての聖地「富士宮浅間大社」

こんにちは、編集部の山口です。富士山といえば日本で一番大きな山であるとともに、さまざまな文化や芸術に影響を与えた、日本のシンボルのひとつですね。

僕は、小学校や中学校への通学路から毎日富士山を眺めていて、その迫力や美しさには拝みたくなるようなときもあったほどです。

静岡県の象徴のひとつである「富士山」・・・と、書くと山梨県の方々に怒られてしまいますね。

でも、富士山には“拝む”という考え方や信仰があって、その総本山が静岡県の「富士宮浅間大社」であることはご存じでしたか?

 めちゃめちゃ歴史とかかわってきた富士山

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浅間大社の話に入る前に、「富士山ってどれくらい前から日本で人気者だったのか」についてざっくりと紹介します。じつは富士山が、歴史や文化芸術のなかで登場したのはとても古いです。

その歴史をさかのぼってみると、少なくとも平安時代にはさまざまな書物で触れられたり、修験道(山籠もりで悟りを得る宗教のこと)が整備されたりしていたことがうかがい知られています。

一般的にもよく知られている話としては、おとぎ話「竹取物語」のラストシーンが挙げられます。

この物語の終盤、かぐや姫が天上に戻るときに帝は不死の薬を受け取ります。このときに側近に対して「天に近い山はどれか」と問うと「駿河の国にあるといわれる山ではないか」と答えたため、この薬と最後に渡された手紙を使者に渡して、その山頂で焼くように命じました。

そのことで、この山は「ふじの山(不死)」と呼ばれるようになったとかいう、ラブストーリーの最後にダジャレを混ぜ込んでくる話を聞いたことがある方は多いですよね。

江戸時代に富士山は一躍庶民の人気者に!

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さらに、江戸時代に入ってくると経済の中心地が東京(江戸)に変わり、東海道をはじめとした街道も整備されたために、富士山が描かれたり見られたりする機会も増えました。

それと同時に土産物としても重宝され、庶民の間でブームになったのが「浮世絵」です。

上の浮世絵は葛飾北斎の凱風快晴という作品。かなり有名ですから知っている方も多いのではないでしょうか? これ以外にもさまざまな作品に富士山が描かれるようになります。

それが明治に入って海外へ輸出されるようになると、ジャポニズム運動にも紐づくのだからすごいです。浮世絵は富士山が世界進出を果たしたきっかけともいえるでしょう。

富士山は、日本の歴史や芸術文化にとても密接にかかわってきたことがわかります。

 日本に1,300社もある浅間神社

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さて、冒頭の話に戻ります。小さいころから親しんできた富士山は、ときに拝みたくなってしまうような美しさがあります、と書きましたが、実際に拝むための神社があるんです。

これが、最初にお話しした「浅間神社」。静岡市に住む人にとっては、葵区にある同名の神社がすぐに思い浮かぶ方も多いかもしれません。

そのほかにも、県内外の在住者の方で近くに同じ名前の神社がある!と思い浮かぶ方もいるでしょう。でも、それらはあくまで浅間神社のひとつ。じつは静岡県と山梨県を中心に、浅間神社と名の付く神社は全国中におよそ1,300社あります。

で、その総本山とされるのが静岡県富士宮市にある浅間大社というわけです。「大社」と名が付けられるだけで結構すごいことなんですが、調べてみると富士山と同じくかなりスケールがでかい神社でした。

ちなみに、各地にある浅間神社ですが、いずれも境内もしくは敷地内から「富士山が拝める」らしいんです。

ご神体だから当然なのかもしれませんが、愛知県や岐阜県にも浅間神社はあり、そこからも富士山がのぞめるとのこと。だてに日本一のサイズではないですね・・・。

※大社:神社のなかでも信仰を集め、その地域で一番大きな神社に「大社格」が平安時代の政府より与えられていました。

 総本山の浅間大社は世界遺産

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この浅間大社、なにがすごいかというと、まずは世界遺産だということ!

2013年に「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」という名称で、富士山とその構成遺産が世界遺産リストに登録されましたが、じつはこの浅間大社も含まれています。

登録の理由は、富士山に対する日本人の信仰具合が目に見える形となっていることに加えて、涌玉池があったりその池で修験者が身を清めたりする神社ということもあるのですが、なによりも本宮が富士山山頂にあるというのが大きな理由みたいです。

浅間大社は江戸時代に、幕府から富士山の山頂部分の所領を許されています。実際に現在でも富士山8合目以降は社領となっており、山頂には鳥居が構えられていてそこに参拝することも可能です。

・・・miteco編集部は8合目で登山断念をしたので、社領にはほぼ足を踏み入れていませんが。

 ところでなんで「浅間」なの?

富士山に対する信仰を示す神社であれば、「富士神社」みたいのが妥当だよな。と僕(山口)は思ったのですが、じつは「浅間」というのは古くは「火山」を表す一般的な言葉だったようです。

 

で、当時からすると超常現象のひとつだった火山の噴火は相当に恐ろしいことで、それを鎮めるために作られたのが浅間神社という説が有力みたいです。

 

ちなみに、読みは「せんげん」とするのが普通。長野県にある浅間山も同じ字を使いますが、こちらは「あさま」ですよね。これは、「あさま」が古い呼び名で平安時代以後に「せんげん」と呼ばれるようになったのだとか。

戦国時代にはお参りする武将もたくさん!

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現在の浅間大社の社殿は、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が勝利を記念して造営したものとされています。でも、どうして戦勝記念でここの社殿を建てたのか・・・?

じつは、徳川家康は戦いの前に浅間大社に祈願しに来ていたんだそうで。日本一を決める戦いですから富士山への戦勝祈願というのはうってつけだったわけですね。

以来、徳川家は代々この神社を優遇していたことが記録に残っています。とはいえ、富士信仰や浅間大社へお参りすること自体は徳川家が始まりではありません。

さかのぼってみると、その始まりはヤマトタケル(また出てきた)が東国遠征の際に駿河であんまりに悪党に付け狙われるので、なんとかしてくれと富士山に祈願したら難を逃れたという話が、浅間神社の起こりとされているようです。その後に、初めて征夷大将軍になった坂上田村麻呂が社殿を造営したとされます。

しかも、鎌倉時代には源頼朝や北条義時といった時の権力者からの優遇を受け、さらに南北朝時代になると足利家からも社領を寄進されています。

当然、この流れは続き、戦国時代に入ると駿河を治める今川家や甲斐の国の武田家はもちろん、豊臣秀吉も社領の寄進、戦勝祈願などをしたといわれています。

※社領の寄進:権力者がその神社への信仰の証として土地を与えること。

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なかでも、源頼朝は富士の巻狩を行った際に、流鏑馬(やぶさめ)を浅間大社に奉納したと浅間大社の記録にあり、これが毎年、同神社で流鏑馬が行われるようになった由縁だとされます。

新幹線のぞみ号にはスルーされまくりな静岡県ですが、浅間大社には戦国武将であれば必ず足を止める、なんていっても過言ではありませんね。

 由緒ある浅間大社へのお参りへ

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歴史的にも文化の面でも、とにかくすごいのが浅間大社。

地元にある浅間神社はもちろんですが、お時間のあるときにはぜひ、総本宮である富士宮浅間大社へ足を運んでみてください。社殿は、徳川家康が作ったとだけあってかなり荘厳。

県の指定文化財となっている拝殿・楼門や、天然記念物の涌玉池は一見の価値ありです!

ちなみに、江戸時代に富士信仰がブームになったと書きましたが、そのときには「富士山登頂を果たせば願いが叶う」とよく言われたそうです。奧宮と呼ばれる山頂の神社もお参りすれば、そんなうわさ話も本当になる、かもしれません。

これは僕も参拝できていないので、いずれ! 挑戦したいです。

富士宮本宮浅間大社

住所:〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1
電話番号:0544-27-200
駐車場:有

駐車場は有料です(1時間200円)。駐車は午前5:00~午後7:00の間となっています(出庫は24時間可能)。