静岡のDeepな心霊スポット【第10話】
千本松の首塚(沼津市)
沼津市を代表する心霊スポット、「千本松の首塚」。物々しい名前だが、怪奇現象のウワサが語られるのには理由がある。美しい松原は東海道随一の景勝地と名高いが、今回は心霊スポットとしてご紹介したい。
千本松の首塚にまつわる怖い話
千本松の首塚付近は、「夜になると首のない若い武者が現れる」という報告が多い。また、「火の玉が出る」「千本浜の海で泳ぐと仏様に連れていかれる」といった声もあった。
武士の幽霊が出るというウワサの出自は、戦国時代にまでさかのぼる。
かつて武田勝頼率いる甲州武田氏が駿河を侵攻し、小田原北条氏と沼津周辺で激しい攻防戦をおこなったと言い伝えられている。1580年(天正8年)に起きた「千本浜の合戦」はとくに激戦だったという。
はじめ千本浜の沖で海戦がおこなわれたが、戦いが地上戦に移行するとさらに激化して多くの死傷者が出た。この戦いで出た死者の首を首実検し、のちに葬った場所が千本松原だったのだ。
千本松の戦いから320年が経った1900年(明治33年)、千本松で事件が起きる。5月に発生した暴風雨の翌日、千本松の木の下から多数の頭蓋骨が発見されたのだ。
地元の人たちはこの頭蓋骨を千本浜の戦いの戦死者だろうと考え、「お首さん」と呼び手厚く葬ったという。
千本松の首塚の頭蓋骨に関する話
日本人の起源を研究していた故・鈴木尚教授(東京大学)が1954年(昭和29年)、千本松の首塚で発見された頭蓋骨の調査を開始。1989年(平成元年)に発表した『沼津市千本浜の首塚と関東地方の中世日本人頭骨』内で、お首さんは千本浜の戦いの戦死者の頭蓋骨であると発表した。
頭蓋骨はすべて成人男性。大多数が青年だったことから、両国が若い武士たちを引き連れて野外の合戦を行ったと推測できる。言い換えると、千本浜の戦いは、老人や子どもが戦いに参加させられるような町ぐるみの合戦や籠城戦ではなかったわけだ。
明治時代に発見された頭蓋骨は105個。しかし、実際は200人以上の人が葬られたのではないかと考えられている。「風雨にさらされて破片となり海や浜辺に散ってしまったのではないか」と、鈴木教授は推測したようだ。
千本松の由来と歴史
千本松は、かつて農民たちが防風林のため植えたという言い伝えがある。しかし、戦国時代に合戦の邪魔だからと切り取られてしまい、一時期は海岸がむき出しになっていたそうだ。
そこで、潮風に苦しむ農民たちに見かねた増誉上人(千本山乗運寺の開祖)は、千本の松を駿河湾の海岸線に沿って植えたという。
激しい戦いの歴史に振り回され続けた千本松。いまでは当時の名残を感じさせることのない、静かな遊歩道として沼津の人たちから愛されているようだ。
なお、近年は井上靖や若山牧水ら文人たちが訪れ、文学の道と名付けられている。
千本松の首塚は沼津の伝説を語る史跡
心霊に関するウワサもある千本松の首塚だが、お首さんについては手厚く供養されている。さらに現在は首の病に効験があるとして、首塚の供養碑を参拝する地元の人も少なくない。
今回ご紹介したのは沼津市の千本松の首塚。
今後も静岡のDeepな心霊スポットを紹介したい。
※本記事は地元民のウワサをまとめました。信ぴょう性その他について保証するものではありません。