興津とあんこの謎に答えてくれたお店が…
思いもよらない歴史の深さに触れた話
こんにちは、miteco編集長の吉松です。
静岡には「あんこのふるさと」と呼ばれる町があることをご存知でしょうか。
それはかつて宿場町として栄えた清水区の「興津」。東海道五十三次の17番目として知られています。
でもなぜ興津とあんこなんですか。
たったそれだけの疑問もとに、興津の町をぶらぶら歩いていた日のこと。思いがけずこの看板に出会います。
「あ、ここだな(まんぢう=あんこ)」と単純に考えた僕は、お店に入って話を伺ってみることに。
突然の訪問でしたが、快く対応してくださったのは、和菓子屋「潮屋」の小澤仁美さん(以下、仁美さん)。ただ撮影に関しては、「準備をしていないから顔だけはちょっと・・・」とのことです。急すぎてすみません・・・。
ものの数秒で解決した疑問
吉松 | 興津は「あんこのふるさと」と呼ばれているそうで、これにはどういう背景があるんでしょうか? |
仁美さん | それは興津・承元寺町出身の、北川さん(北川勇作)と内藤さん(内藤幾太郎)のおかげですよ。おふたりは興津で、あんこを作るための機械を発明をしたんです。それによって日本の製餡業の技術が画期的に進歩しまして。
だから興津が「あんこのふるさと」と呼ばれているんです。昔はこしあんを作るにも、豆を煮たのを袋に入れて足で踏んでから濾すとか、とにかく重労働だったらしいですよ。 |
なるほど。疑問はすんなりと解決しました。
・・・でも、ここまでたった数秒。
――「あんこのふるさとについて教えてください!」「こうこうこうですよ」「ありがとうございます!では!」
たださえ失礼なのにこれでは・・・。
と思った僕は、看板の「宮様まんぢう」について聞いてみよう、ということで少し欲張ってみました。
100年以上の歴史を持つ老舗だった
吉松 | すみません、もうひとつだけいいですかね。じつは「宮様まんぢう」の看板をみて来たんですが、これはどのようなものなんでしょうか? |
仁美さん | 宮様まんぢうは創業当時から作っている和菓子ですね。潮屋は明治30年(1897年)創業なんですけども。 |
吉松 | え、明治30年から!? もう100年以上もやっていらっしゃるんですね・・・。そうですか・・・。 |
仁美さん | 長いですよね。もう少し具体的に言うと、明治や大正という時代は、興津に皇族の方々がご静養にいらっしゃることが多くて。(指折り数えながら)先…先…先…先代くらいがそちらで商売をはじめたんです。
そして大正天皇が皇太子だった時代ですね。清見寺へご静養にいらしたときに、「なにかお茶菓子はないか」というお話をいただきまして、そのときにお作りしたのが原型となる酒まんじゅうでした。
当時の皇太子さまはまだご幼少でしたので、酒の風味はおさえたひと口サイズにして献上したそうです。 |
こちらが宮様まんぢう。甘さ控えめでかつ、ひと口サイズなので、10個くらいはペロリといけます。
仁美さん | 献上した酒まんじゅうは大変お気に召していただけたようで、噂を聞きつけた近所の皆さんが酒まんじゅうのことを「宮様※まんぢう」という愛称で呼ぶようになりまして、その名前が徐々に定着していったんですね。
そしたら、宮内省(現:宮内庁)からも「宮様まんぢうの名前で商売をしていいよ」とお許しをいただきまして。以降はその名前と味を守り続けて、いまに至るといった流れになりますね。 |
※宮様:皇族の呼称。~宮さまといまでもよく使われます。
まさに一期一会
吉松 | 歴史の重みがあるお菓子ですね・・・。やっぱり人気も高いですかね? |
仁美さん | そうですね、一番人気です。特に小さいお子様とご年配の方がお好きですね。中間層には「あげまんぢう」が人気ですけども。 |
吉松 | あげまんぢう・・・? |
仁美さん | 宮様まんぢうを揚げたものです。まんぢうにつゆがついちゃって、試しに宮様まんぢうを揚げて近所の皆さんに配ってみたところ、結構評判がよくてメニューに加えました(笑)ただもう、はじめてから20年くらいになるはずですけどね。 |
中間層に人気のあげまんぢう。秋~春の限定販売で、夏季は販売していません。
? | (奥から出てくる)ん、どうした? |
仁美さん | いま取材の方が来ていて。あ、私は写れないから、撮ってもらうといいかも。
・・・すみません、こちらは潮屋のお菓子を作っている主人(小澤智弘さん)です。 |
吉松 | あ、はじめまして。お邪魔しています。僕はこういうものなんですけども(状況説明)。 |
智弘さん | ああ、そうですか。わかりました。それで説明は・・・ってもう聞いているんですっけ。 |
吉松 | そうですね、詳しく教えていただきました。それでは、写真を1枚だけいいですかね――。 |
快く撮影を引き受けてくださったご主人の智弘さん。そしてお気づきかもしれませんが、後ろには「一期一会」の文字。
振り返ると、興津とあんこの謎を解くために入ったお店が明治30年創業の老舗で、しかも看板商品には大正天皇が深く関わっていた。なんて正直なところ、覚悟が足りなかったと、心が折れる寸前までいった瞬間もありました。
でも潮屋の皆さんはとても温かく対応してくださって、まさに一期一会なのかもしれないと、一生に一度の出会いを大切にしようという心構えがあるんだろうと、しみじみ感じました。
宮様まんぢうが皇太子さまからご好評だったのも、味はもちろんのこと、そんな誠意を感じたからなのかもしれません。一期一会をもっと大切にしよう。興津とあんこの謎を知りたかっただけでしたが、思いもよらない教訓を得られました。