静岡で歩み続けたTHE WEMMER
バンド活動11年で見えたものとは【後編】
こんにちは、編集部の山口です。先日に引き続き、静岡で11年間活動を続けるTHE WEMMERへのインタビューの後編をお届けします。
前編では、彼らの結成から5年間を追いました。
そのなかで語られたのは中学生の同級生でバンドを結成して以降、高校生のときには3年間で200本以上のライブを敢行したこと。さらにはロックバンドのなかではもはや大御所「KING BROTHERS」との共演も果たし、その後、青春18きっぷを使っての全国ツアーをおこなったことでした。
なんもなかった「暗黒時代」
さて、前回の最後、僕はTHE WEMMERのベースボーカルを務めるロッキーから、彼らから言われるとものすごく違和感を覚える言葉を聞きます。
ロッキー | いやあ。暗黒時代なんですよ。18から20の時期って。 |
暗黒時代? 冒頭にも書いたように、高校時代に200本以上のライブ。さらには全国ツアー。そして、知る人ぞ知る大御所との共演も実現している彼らは、はたから見れば順風満帆そのもの。いったいどういうことでしょう・・・?
山口 | 暗黒時代ですか? だって、さっきまでめちゃめちゃな成功談ばっかじゃないですか。裏側はなにがあったんですか? |
松本 | なにもなかったんですよね・・・(笑) |
山口 | キンブラ(KING BROTHERS)との対バンもして、全国ツアーも回って、もう昇り竜じゃないですか。評価ガンあがりのはず・・・。 |
ロッキー | そうなんですよ! もう、僕らもグワーッってきてて(笑)
・・・で、高校卒業して僕は大学へ進学して、大学1年のとき。なんか一気に下がったんですよね。
あれ? 売れねえ! って(笑) |
デストロイ | そう。高校卒業までに売れるって思ってた。 |
松本 | 行先(レーベルや事務所)が見つかると思ってたよね。 |
アメリカに次の俺らのステージがある
ロッキー | んで、すごくテンションも下がって、「んー。どうしよう」みたいな。ここまでいろいろやったけど、なにすればいいかわからない。
で、3人で集まっても、誰もなんもしようとか言わないし、もっといえば誰もどうしたらよいのかが全然見えてないんですよね。それで、曲もまったくできなくなって・・・。 |
山口 | それを脱出したのはなにがきっかけでしたか? |
ロッキー | 暗黒時代を脱出したのは・・・。たぶん、アメリカツアーでしたね。 |
山口 | なるほど。「よしアメリカ行こう!」と思ったのは、なにが理由なんでしょう? |
ロッキー | このとき、すでに20歳になってたんですけど、「とにかくなにか行動しなくちゃ」という気持ちで。それと、KING BROTHERSもそうなんですけど、最初にアメリカでCDを出して、それが現地とかヨーロッパとかでウケて、逆輸入的に人気が出るバンドとかもあるじゃないですか。で、それに気づいて。
「アメリカに次の俺らのステージが待ってる・・・!」「つーかアメリカにしかねぇ」って(笑)
それでアメリカにある「BULB」ってゆうインディーレーベルをやってたピーターって人に自分たちのミュージックビデオを送ったら、「お前ら最高のロックンロールバンドだ! 早くアメリカに来い!!!」って連絡が来て。 |
実際に送ったTHE WEMMERのMV。
山口 | すごい行動力! この時点では、ほかのふたりは詳細をあんまり知らない・・・? |
デストロイ | 「アメリカに行きたい!」ってのは、ヤマ(ロッキー)が前々から言ってたから知ってはいたんですが、「ほんとに行くの!?」とはなりましたね。 |
松本 | でも、もうすでにブッキングのスケジュールとかは組まれていたんで、「あー。これは行くな」と。 |
これがアメリカ・・・! 日本と違いすぎる環境
こうして始まったTHE WEMMER1回目のアメリカツアー。「とにかく刺激的な時間だった」と3人は話しますが、20歳になった彼らはいったいどんな経験をしてきたんでしょう?
山口 | アメリカツアーを回ってみて、やっぱり日本と違う部分ってあったと思うんです。たとえば、どんなところにそれを感じましたか? |
デストロイ | いやあ、もうそれはとにかく刺激的な時間でした。違いという意味で始めに感じたのは、機材がないってことですね。 |
山口 | 機材がない・・・? |
デストロイ | 日本のライブハウスって、だいたい備え付けの機材があるじゃないですか? ドラムセットはもちろん、デカい音を出すためのスピーカーや音を拾うためのマイクとか。日本全国どこでもそうだからそれに慣れてたんですけど、アメリカだとないんですよね。 |
ロッキー | とにかく自分たちでなんでも機材を持っていないといけないんですよ。面白かったのは、バックヤードにいくと、ドラムセットが5台くらい並んでるっていう(笑) |
山口 | あ、バンドの人がそれぞれ持ってくるから。 |
デストロイ | そうそうそう。僕はさすがに飛行機で持ってくるわけにはいかないので、そういう人たちにお願いして借りてやってました。 |
これはそんなライブハウスの一幕。機材は揃ってなくとも、とにかくエネルギーで満たされているのがアメリカだった。
デストロイ | ライブハウスによっては、シンバルスタンドが掃除機だったときもありましたからね。 |
山口 | ええええ。そんなことあるの!? |
デストロイ | 嘘みたいな話ですけど、ほんとですよ。ライブハウスに着いたとき、まっつ(松本)が「アマ(デストロイ)、おいあれ」っていうから、「え? ・・・あー。シンバルが割れてる」って言ったら。 |
松本 | 「違う違う! シンバルスタンド! 掃除機!!」って。 |
デストロイ | 「うおおお!」って(笑)掃除機にドラムスティックが紐かなんかで括り付けてあって、そこにシンバル乗っけてたんですよ。あれは、さすがに笑いましたね。 |
とにかくタフになったTHE WEMMER
山口 | そんなアメリカツアーを回って、なにを得られたんでしょう? |
松本 | やっぱりまずはタフになりました。ライブに対して自信がつきましたね。 |
ロッキー | 僕はやっぱりあれですね。FEVER OF SHIZUOKA※のときにもあちこちで話したことにはなりますが、「アメリカの純粋に音楽を楽しむ姿勢や文化」にとにかく刺激を受けました。距離が近いというか。 |
山口 | 距離感。ライブハウスに遊びに行く文化とかですかね? |
ロッキー | ですね。アメリカはどんな音楽もジャンルも常に流行ってるような感じで、きちんと理解というか、みんなわかってるんです。だから、どんなのやってもかっこよければ「Fuck’in Awesome!!(クソサイコー!!)」って言えるような土壌が出来上がっていて。
週末になるとライブを観に出かけて、それでお酒を飲みながら地元や僕たちみたいにどっかから来たバンドを楽しむっていうのが、根付いているんです。そこが痺れましたね。 |
※FEVER OF SHIZUOKA:2014年に開催されたTHE WEMMER、ロッキー主宰のサーキットフェス。静岡市内のライブハウスをジャックし、全国からアーティストを招いて1日限りのフェスを開いたことが大きな話題になった。
とにかく音楽と身近にあったアメリカ。そんな大国を満喫できたのも、THE WEMMERにとっては暗黒時代脱出のきっかけでした。
山口 | アメリカツアーは結局どれくらいの時間いってたんですか? |
ロッキー | 約1か月ですね。 |
山口 | 大きなお土産を持ち帰ることになったんですね。 |
ロッキー | そうですね。もう思い出はもちろん、経験値としても人生観としても、とてつもない影響を受けました。 |
アメリカ帰りのTHE WEMMERを待ち受けていたのは?
山口 | アメリカからTHE WEMMERが帰ってきて。大きな経験を得た3人の変化はもちろんですが、静岡へ帰ってきたあとのお客さんの反応というのはすごかったんですか? |
デストロイ | いやあ。もう。・・・入ったよね。 |
ロッキー | 入った。ライブすれば毎回、70~80人ぐらいのお客さんが。これはさすがにびっくりしましたね。 |
山口 | でも、それを裏切らない成長があったんだと思います。実感する部分も多かったですか? |
デストロイ | 技術的にだと、アメリカはさっき言ったようにとにかくなんもないんで、自分の音が大きくないと話にならないんです。それで、大きい音が出るようにって意識はしてたんですけど、帰ってきたときにはPAさんとか知り合いに「音がデカくなった」とは言われましたね。 |
ロッキー | やっぱり音の大きさも含めてアメリカのほうがお客さんはシビアなので。とにかくはっきりしてて、いいライブができていれば「Great!」ってどんどん踊ってくれるんだけど、全然だめだと「Fuck!」ってほんとに出てっちゃうんですよね。
だから、そういう意味では「あ、お客さんが楽しむようにライブやんなきゃ」って気づきましたし、どうすればうまくいくかみたいのも覚えられましたね。 |
こんなに盛り上がるライブを静岡で繰り広げる地元バンド。この熱量がTHE WEMMERのカッコよさです。
2度目のアメリカツアーからFOSへ
2回目のアメリカツアーはティータイム山本くん(左から2番目)も同行。
山口 | アメリカツアーはたしか2回やったんですよね? |
ロッキー | ですね。 |
山口 | 1回目は現状に対して「なんかしなきゃ」という気持ちが動機になったという話でしたが、2回目のきっかけは・・・? |
ロッキー | これは、1回目の次の年の夏なんですけど。1回目で知り合ったバンドから「お前らマジでクソサイコー! 次いつ来んの? え!? ていうか俺がツアープロモーターやっちゃうぜ!」って言われて。「行きたいけど金ないよ」って返したら、「車も家も金もなんとかするから」って。 |
山口 | え! めっちゃいい人じゃん。 |
デストロイ | んで、いったら全部嘘(笑) |
ロッキー | ぎりぎり家だけあった(笑) |
山口 | アメリカンジョークきつっ! |
山口 | それで帰ってきて、やっぱりなにかありました? |
デストロイ | ところがそのころにはお客さんも落ち着いてきていて。もちろんお客さんがまったくいない、なんてことはないんですけど、びっくりするほど人が来るっていうわけではなくなってきましたね。 |
ロッキー | じつはこの年(2回目のアメリカツアーをした年)にFEVER OF SHIZUOKAをやろうって思ってたんです。実際には、大学4年の最後の春休み、そこから1年後の春ですけど。 |
松本 | あー。そうだった。アメリカで言ってたんだよね。 |
ロッキー | そうそう。こういう街の感じを再現したい。みたいな。 |
ふれこみじゃなくてほんとに「DIY」だったFEVER OF SHIZUOKA
山口 | FEVER OF SHIZUOKAは僕も実際に足を運んだんですけど、「自分の知っている街がこんなにも音楽に染まる日が来るとは!」って素直に感動しました。ほんとにすごい。この発想はアメリカからということでしたが、ロッキーとしては静岡という街をもっと活気づけたかったというのが原点なんですね? |
ロッキー | 大学卒業前で、僕自身も時間があったですよね。この時期。なんかそのときに、「自分の生まれ育った街を楽しくするためにはどうすればいいんだろう?」って思ったんですよね。 |
山口 | 静岡市内のライブハウスというライブハウスをジャックしてって・・・準備はとてつもなく大変だったんじゃないですか? |
ロッキー | いやあ、予算が見たこともない金額になっちゃって・・・。これはメンバーには相談できない、というか、それこそ中学の同級生の友達でもありますから、ここまでの重荷を負担させたくなくって。それで、じつはある程度決まるまで、メンバーには伝えずに進めていったんですね。 |
山口 | あー。なるほど。たしかにあの規模となると、とんでもない額がかかりそう。 |
ロッキー | そうなんですよ。だから、ポスターにも「失敗したらマグロ漁船」って書いたんですけど・・・。 |
山口 | ありました。面白いこと言ってるなあって・・・ってもしかして。 |
ロッキー | あれはマジです(笑)学生で働いてもないし、ましてや貯金もなくって・・・。だからもう、失敗したらほんとに乗ってました。 |
山口 | Oh・・・。 |
こちらは3回目にあたる「FEVER OF SHIZUOKA SECRET」の様子。ホテルを貸し切ってのフェスは出演陣を一切明かさないというアイデアで話題になりました。
ロッキー | やってみたらしんどかったというのも・・・。でも、そのぶん達成感ややり切ったときの感動はあって。「あ、やれるじゃん!」ってなりましたね。 |
山口 | 実際、そのあとに3回もFEVER OF SHIZUOKAという名前のイベントが開かれますもんね。 |
松本 | 僕たちは実行委員として途中から加わっているんですけど・・・。初回はとにかくしんどかった・・・。 |
デストロイ | ほんとに。まっつのとこは2時間半も押してね・・・。「そんなんあるか?」って。2時間半なんか聞いたことないですけど。まあ、たくさんの方が遊びに来てくれたんで、そう考えれば・・・。まあ・・・ね(笑) |
売れてるから○○って違くない!? THE WEMMERのこれから
2014年は、計3回にもおよぶ大規模イベントを開催。2015年には2回目となるサーキット形式の「FEVER OF SHIZUOKA」を成功させたうえで、静岡のバンドマンとしては前代未聞の自分名義の映画撮影、セカンドアルバムのリリースツアーを成功。
あっという間に10年間を駆け抜けていきました。そして、今年は11年目。彼らの「これから」はどうなっていくのでしょう?
山口 | THE WEMMER。活動をずっと振り返ってきましたが、その根底には「面白いことをやってやろう」というのを強く感じました。 |
デストロイ | そうです。やっぱり、「ほかのバンドがやってないことをやろう」というのは3人とも思っていたので、それこそ鈍行で全国ツアーやったり、アメリカ行ったりというのはそこかなあと。 |
ロッキー | ツアーって、全国ツアーとかアメリカもそうですけど、嫌なんですよね。売れてるからやれる。っていうのが。売れてるからツアー回れる、売れてるからフェスができる。・・・そうじゃないでしょ! って。
そうじゃなくてやりたかったらできるものだし、「静岡のバンドだって全然できるよ!」って言いたいっていうのもあるんです。
もちろん、たくさんの人に助けてもらってできたというのはお話しした通りですけど、だからって僕たちがめちゃめちゃ特別ってわけじゃないし、そもそも売れてないし・・・(笑) |
山口 | いやいやいや。そういうエネルギーそのものが街をほんのちょびっとかもしれないけれど、若い人を中心に絶対届いていると思います。 |
ロッキー | そうだと嬉しいですね。 |
山口 | 最後にこれからについて聞いてもいいですか? |
デストロイ | やっぱり変わらずに、「面白いことをやり続ける」ってことですかね。もう11年、これをやり続けてきたのでいまさら不安とかはないですし、そもそもこれ以外知らないっていうのもあるんですけど(笑) |
松本 | 僕もですね。楽しく続けられればとりあえずはよくって、そのうえでなにかをつなげることができたらな、と思ってますね。 |
ロッキー | 僕も基本は一緒です。それと静岡をもっと楽しい街にっていうのは変わらないですし、さっきアマが言っていた通り、「ほかのバンドがやっていないことをやる」というのも面白さだと思っていて。
アメリカに行って、フェスをやって。そうしているうちにたくさんの人に出会えたと同時に、世界の広さと自分の暮らしている街がすごく見えるようになったんです。ふるさとをっていうのもそうなんですけど、そこを拠点にやっている自分たちもまたその一部だなあ、と。
既存の静岡のバンド活動とは、ちょっと違う方向性でこれからも続けていこうと思っています! |
山口 | ありがとうございました! |
ロングインタビューに答えてもらったTHE WEMMER。同世代を静岡で育ったひとりとして、彼らほどにエネルギッシュでタフな人たちは見たことがなくて、とにかくリスペクトでした。「こういう人たちと一緒に静岡を盛り上げるられたら」と思わせられるバンドです。
今年の始めには初のベストアルバムをリリースした彼ら。今後の活動には要注目です。いや、注目していなくともウワサが聴こえてくるかもしれません。だって、それくらいのエネルギーを放ち続けているのが彼らの魅力なんだから。
でも「まだ観たことない」っていう人、それはものすごくもったいないことだと思いますよ。
じつは本日(2017/06/10)、彼らにとって原点のひとつであり、大尊敬するバンド「KING BROTHERS」と人気ラッパー「KMC」と共演をする日です。
11年間を凝縮したような圧倒的なパフォーマンスに注目。いまからならまだ間に合うハズ! なにか「面白い」と感じられることがあれば迷わず突き進んできたTHE WEMMERのように、飛び出す準備をしてみてはいかがでしょうか? きっと新しいなにかに出会えるはずです。