ロックキッズがプロクラシックギタリストに
ギターヒーローにあこがれた少年が歩んだ道
こんにちは、編集部の山口です。
突然ですがみなさん、プロのアーティストになりたいと一瞬でも考えたことはないですか? 僕はじつはちょっとだけありました。テレビで映っているバンドマンを見たり、好きなアーティストの新譜を聞いたりしていると、「俺もいつかあんな風になりたい!」と思うのってそんな不思議なことではないですよね。
でも、こうした夢も青春時代の思い出のひとつになるのが普通。ところが最近、同郷出身で中学校の後輩にあたる方がプロのクラシックギタリストになったという話を聞きました。「身近にそんな人がいるなんて」と驚いたんですが、なにより「クラシックギター」のプロですよ。・・・いや、全然クラシックギターのことは知らないんですけど。
クラシックと名前の付く楽器やジャンルって、とんでもなくプロになるのが難しい印象があるんですよね。小さいころからバイオリンやピアノに親しんだ「一握りの天才」がやっているようなイメージ。だけど、今回紹介する方はもともとロックバンドをやっていて、エレキギターを弾いていたような人だというんです。
なんだか「クラシックをやっている人」のイメージとは程遠いような・・・。どうやってプロになったのか、エレキじゃなくてクラシックなのはどうしてなのか気になる・・・!
というわけで、さっそく取材をお願いして、話を聞かせてもらえることに。
これは、ひとりのロックキッズがクラシックギターと出会い、そして夢の舞台へと向かうお話しです。
プロになった深澤太一ってだれだ?
指定された場所で待っているとちょうどきました。彼が今回取材をさせていただく深澤太一さん(以下、深澤さん)です。
深澤太一
1991年静岡市生まれ。静岡東高校から京都産業大学へ進学。大学時代にはギタークラブに所属してクラシックギターを本格的に学ぶ。師事多数。海外での講習会にも参加し研鑽。第41回大阪ギター音楽大賞で優勝などの経歴を持つ。
山口 | こんにちは、今日はよろしくお願いします。 |
深澤 | こちらこそ。 |
そもそもクラシックギターってなんだ?
普段はレッスン室として使っているという場所で取材をさせていただきました。
深澤さんの話を聞く前に、まずはクラシックギターについて気になる方も多いはず。というか、僕もよくわかってないので、そこをご説明いただきました。
山口 | 取材をさせてもらって大変申し訳ないんですが・・・。そもそもクラシックギターって・・・。 |
深澤 | クラシックギターというのは、ナイロン弦(昔はガット)が張られていて、指とツメを使って弾く楽器のことです。よくイメージされるアコースティックギターとは、構造や仕組み自体はそう変わらないんですが、サイズが少し小ぶりで、より響くような構造になっているのも特色ですね。 |
山口 | ポップスでよく使われるようなアコースティックギターとは、音にどのような違いがあるのでしょう? |
深澤 | とにかく柔らかい音が出るということ。弦が違ったり、作りが違ったりでとにかく「繊細な表現ができる」という点ですかね。奏法もだいぶ違いますが、一つひとつの音をはっきりと奏でられることと、それが同時にたくさん出せるところが特徴だと思います。 |
といいながら、ギターを構えて実演してくれました。
演奏の様子はこんな感じです。
山口 | すごい! ギターって言われると、和音(コード)を弾く楽器の印象が強かったですが、音それぞれがきちんと聞こえたうえで、たくさん鳴っていて、しかもメロディまである・・・。 |
深澤 | そうなんです。もちろん、いろいろな弾き方がありますけど、そのキャラクターの深さに僕は魅力を感じています。 |
山口 | なるほど。では、ここからは深澤さんとギターについてその出会いからたっぷり聞かせてください。 |
ギターを持ったきっかけは父が持ってたストラトキャスターだった
山口 | まずは、ギターとの出会いからですよね。ギターという楽器に触れたのはいつごろだったんですか? |
深澤 | ギターに触れたのは中学校に入って少ししたくらいですね。友人にバンドに誘われて、父親の部屋にあったストラトキャスター(エレキギター)を触ったのがはじめてでした。 |
山口 | あれ? エレキスタートなんだ! わりとありきたりなスタートで、なんかちょっと安心というか親近感(笑)当時、好きだったギタリストとかいたんですか? |
深澤 | 好きなギターヒーローはたくさんいるんだけど・・・ランディ・ローズ※ですかね。もう、ギターリフがとにかくカッコいい。憧れのギタリストですね。 |
山口 | バリバリのロックキッズだ・・・。それで、バンドをはじめてステージに? |
深澤 | そうです。学校の文化祭に出たんですけど、やっぱりライブって最高に楽しいじゃないですか。それでもう味を占めちゃって(笑)以降は、そのライブの楽しさをまた味わいたくてバンドにのめりこみました。 |
※ランディ・ローズ:1970年代後半から80年代初頭にかけて活躍したギタリスト。オジーオズボーンでの活躍はハードロック好きであればだれもが知っているところ。1982年に飛行機事故により25歳という若さで亡くなる。
もっとギターがうまくなりたくて・・・高校で選んだ部活
こうして、すっかりロックギターの虜になった深澤少年は、バンド活動をつづけながらもっと、ギターがうまくなりたいと思うようになります。その目的で選んだ部活がマンドリン部。でも、そこでは自分が知らなかったギターの奥深さが待っていました。
山口 | それで高校に進学していくわけですけれども、東高校といえばかなりの進学校。でも、頭のなかはギターだったというわけですかね? |
深澤 | その通りです。だから軽音部を探したんだけど、それがなくて・・・。ギターが弾けそうだって思ってマンドリン部に。頭のなかはエレキギターでした(笑) |
山口 | じゃあ、クラシックギターを持ったからと言って、すぐにそっちが好きになったとかではなかったんですね。 |
深澤 | 高校生のはじめのうちはそうでしたね。でも、1年の冬に副顧問の先生がたまたまギターを弾いているのを見る機会があったんです。あまり接したことがなかったんですが、じつはクラシックギターを長くやっている方だったんですね。それで、聞いてみたら、
「なんじゃこりゃ!」と。
めちゃめちゃたくさん音が出てるー! ってなりました(笑) |
山口 | いままで聞いたことがないほどすごかった・・・? |
深澤 | そうですね。いま思うとそこまで超絶技巧ではないんですが、当時はかなりショックでした。「エレキより速くない?」みたいな。やっぱりロックギターやってると速く弾けたり、たくさん音が出せたりするのが「うまい」だと思いこんでいたので、それでクラシックギターにちょっとずつ興味がわきましたね。 |
ふとしたきっかけで出場したコンクールと挫折
山口 | そうやってクラシックギターにも興味を持ちつつあった高校生時代ですが、プロになろうとは思わなかったんですか? |
深澤 | 多少は思っていましたが、職業にすることは難しいだろうなあと。それで音大じゃなくって普通の大学へ進学したんです。 |
山口 | それじゃあ大学進学後、いったんはギターを弾かなくなったんですか? |
深澤 | いや、それはないです。プロとか以前に、とにかくギターを弾くことは大好きだったので、欠かさず触ってましたね。あと演奏の機会もほしくて、通っていた大学のギタークラブに所属してたんです。 |
山口 | あ、そうなんですね。向こうのクラブで感じたことはなにかありましたか? |
深澤 | あんまり上手な人いないな・・・(笑) |
山口 | 自信満々だ(笑)それで? |
深澤 | で、自分ってどのくらい上手いんだろうっていうのが気になったんです。それで腕試しをしようと思って調べてコンクールを知りました。それで、「これだ」と思ってすぐに申し込んだんですね。 |
山口 | どうだったんですか? |
深澤 | もうけちょんけちょんに負けました・・・。
こりゃ全然かなわないな、っていう感じで。単純に悔しかったですね。 |
山口 | そっから火が付いた? |
深澤 | いや、最初の一週間はふさぎ込みましたね。でも、確かにここが境にはなりました。それまでも毎日触ってはいましたが、ここからは暇さえあれば、いや、暇がなくてもギターを練習してました。
練習しすぎて腱鞘炎になったくらい。しかも腱鞘炎なのに練習しちゃいましたね。いま思うとかなりバカだし無茶してましたね。 |
山口 | 体を壊してまで・・・。どうしてそんなに練習に打ち込んだんですか? |
深澤 | 悔しさから見返してやりたい、というのが強かったです。でも、相手は小さいころからギター練習してて、クラシックギター歴が僕の2倍以上ある人なんていうのがいたりするんです。
だから、6~7時間弾いても足りないと感じちゃいました。ほかの人の倍は練習しなくちゃ差は埋まらないぞって思って・・・。いま思うと、体を傷めるってむしろ出遅れてるんですけど(笑) |
山口 | なんという執念。普通はそこで諦めるんだと思うんですけどね・・・。 |
挑戦のスタートとはじめてのプロの先生
山口 | 腱鞘炎になるくらい練習する一方で、「プロになる」という明確な意識ではなかったという話ですが、いつごろ、そう思ったんですか? |
深澤 | 就活のときですね。ありがちな就活セミナーに足を運んで、リクルートスーツの集団のなかで自己啓発のような話を聞いて。「俺はこのなかにいたくないぞ」ってはっきりと思いました。将来を考えたときに、なんか違うって思っちゃったんです。 |
山口 | 就活のときって誰もが一瞬それを思うんですよね。でも、多くの人はそこを乗り越えるというか、飲み込まれるというか・・・。でも、深澤さんはここでほかの人とは違う進路を目指すわけですね。 |
深澤 | そうです。でもプロのなりかたなんてわからないんですよ。それで、思い切ってはじめてプロの先生に会いに行って、「どうやったらプロになれますか?」って聞きました。そしたら、プロとはなにかからなる方法まで教えてくれるんです。これでプロになるという意志が明確になりましたね。
この先生は自分がプロになるきっかけを与えてくれた方で本当に尊敬しています。 |
「人生で一番ギターが好きになれなかった日」
山口 | そうして、プロを目指すと決めたわけですが、かなりのプレッシャーじゃないですか? |
深澤 | それはもうすごかったです。やっぱり僕は、音大に行っていたわけではないので、コンクールで優勝するくらいしか自分を知ってもらう方法ってないんですよね。でも、大学は卒業間近で、「これはどうするんだ?」と・・・。 |
山口 | そりゃきついですね・・・。 |
深澤 | 卒業後は京都でアルバイトをしたり、少ないけれど学生にレッスンをしたりしてお金を稼いで、コンクールに向けての練習をひたすらしてました。なのに、その年のコンクールで大失敗をしてしまったんです。 |
山口 | 大失敗? |
深澤 | 前に落選してしまったコンクールに再挑戦したんですが、そのときにはかなりレベルアップできていて、優勝に対して自信も評価もあったんです。当然、2次審査も通って本戦(最終審査)まで残った。
で、本戦のステージで曲を弾いているときです。
飛んだんです。
10秒くらいかそれ以上沈黙になったみたいです。というのも、正直もう記憶すらもおぼろげなんですが、暗譜して弾いているはずが気づいたら「あれ? 俺弾いてないじゃん」ってなって・・・。
もう、頭がぐちゃぐちゃになって、最後の数小節をやっとこさ弾いて、それでお辞儀して退場しました。 |
山口 | うわ・・・。それだけの努力と準備をしていったのに、そのときの気持ちはもう僕には想像できないほどの落ち込みようでしょうね。 |
深澤 | でしたね・・・。そこから数か月はギターを弾かなくなりました・・・。 |
山口 | あれだけ好きだったギターを置いたんですね。 |
深澤 | 多分、これまでの人生でギターを触りたくないと思ったのはあのときだけですね。 |
もう一度コンクールへ
山口 | そこから再起、そして去年の優勝になるわけですよね? 再起のきっかけはなんでしょう。 |
深澤 | 一番は、そのときに少ないですけどついていてくれた生徒さんたちに励まされたことや、先生や両親にも後押ししてもらえたことです。数か月くらいしてまた練習を始めました。 |
山口 | それでやっぱりもう一度コンクールへ、ということですね。 |
深澤 | そうです。ただ、ちょっと肩の力が抜けたのかもしれませんが、無茶な練習はしなかったし鬼気迫る感じではなかったですね。 |
山口 | ほー。それは意外です。で、優勝と。 |
深澤 | ですね。ここはもう、なんというか前回よりも参加者のレベルも相当にあがっていたんですけど、不思議と落ち着いてやれて。自分にできることを丁寧にやろうとして、それができたコンクールでした。 |
山口 | 挑戦を重ねて得た優勝ですが、取ったときはどう思いました? |
深澤 | うーん。もちろん嬉しかったですね。その年のレベルが上がったといいましたが、じつはその年から賞品・賞金が変更になって。そのうちのひとつに、関西でのリサイタル開催権があったのも大きいです。だからうれしいのと、ありがたいのと、あとは大きな自信になりました。 |
静岡でプロとして生きる
こうして紆余曲折。普通の人とは違う道を選んで、その道でも少し珍しい形でプロになるという目標を達成していく深澤さん。コンクールでの優勝も含め、彼のギターが飛躍した地は関西でしたが、その活動拠点としては静岡にこだわりたいといいます。
山口 | 京都から静岡へ戻って、そしてコンクールを取った。今後はまた関西に戻ったほうがプロとしての活動がしやすそうに思うのですが、いかがですか? |
深澤 | そこは静岡にこだわりたいんですよね。故郷が好きで、この地でクラシックギターをする人を増やしたい、東京や大阪に負けないエリアにしたいという思いがあるんです。
そのために、静岡でプロとして成功する、というのが僕の大きな目標です。 |
山口 | 郷土愛! miteco編集部の人間としては嬉しい限りです。 最後に今後の目標をお願いします。 |
深澤 | まずはリサイタルの成功です。大阪公演はもちろんなんですが、じつは静岡で大きな会場を使って演奏会をするのははじめてで。だから、地元の若い人にクラシックギターってすごいんだ、っていうのを知ってもらえる演奏ができるよう、精一杯やりたいですね。
あとは、静岡でお世話になった人へ、いまの自分を知ってもらってちょっとでも恩返しになればという気持ちもあります。 |
そんな深澤太一さんが3月19日(日)にリサイタルを故郷、静岡市のAOIで開きます。これまで、コンクールも含め関西圏での活動が主だった彼が、静岡で自身の演奏を披露する機会。気になる方はぜひ足を運んでみてください。