発見! 街路灯で照らす静岡のまち
【第1回】静岡市葵区「静岡呉服町名店街」
街路灯。それはまちを照らす灯りです。
気が付いたら立っていて、気が付いたら明るく光っている。だからとくに目を止めることなんてないでしょう。
それでもふと見上げてみると、まちによって色や形、明るさも、まったく違うことに気付きます。まるでまちを象徴しているような気さえも――。
もしかすると街路灯から、まちのことが少しだけ、わかるかもしれません。
静岡市葵区「静岡呉服町名店街」の街路灯へ
「発見! 街路灯が照らす静岡のまち」は、街路灯をきっかけにまちを少しだけ照らしてみようという試み。
記念すべき第1回は、静岡市葵区「静岡呉服町名店街」の街路灯です。
呉服町は徳川家康が駿府城をつくるとき、もともと城下町だったこの地を整備して、いまに通じる繁華街へと発展したまち。町名は戦前まで10を超える呉服店があったことから名付けられています。
ちなみに、本通り(TSUTAYAすみや静岡本店付近)から玄南通り(サンマルクカフェ付近)までの区間が静岡呉服町名店街(写真:青カッコ)です。
玄南通りから江川町通り(スクランブル交差点付近)までは、静岡呉六名店街(写真:赤カッコ)という別の商店街でございます。
中村陽史さん(写真右)、綱島由恵さん(写真左)。
街路灯の案内役は、静岡呉服町名店街の副理事長を務める中村陽史さんと、事務局長の綱島由恵さんです。
江戸時代の行灯をモチーフにした街路灯
吉松 |
静岡呉服町名店街の街路灯について伺っていきたいんですけども・・・。 |
中村 |
ええ。街路灯のことなんてはじめて聞かれます。そのような取材はなかなか(笑) |
吉松 |
(笑)よろしくお願いします。さっそくですが、四角い箱になにかの絵が取り付けられた印象的なデザインですよね。これってどういう意図があるんですか? |
綱島 |
そうですね。これは江戸時代の行灯(あんどん)を現代風に、ということです。 |
吉松 |
行灯を現代風に? |
綱島 |
呉服町は徳川家康がお城を建てて、町割りをして生まれたんですけど、数えてみるともう400年の歴史があるわけで。その歴史を未来にも引き継ぎたい、っていう想いで行灯をテーマにしてみたんです。 |
吉松 |
はー。400年の歴史を未来に引き継ぐための街路灯だと。 |
中村 |
絵に関しては、じつは江戸時代の浮世絵がモチーフでして。歌川広重の東海道五十三次を使っているんですけどね。あと土台になっている御影石(みかげいし)には江戸庶民の彫刻を掘って、その上部には東海道五十三次の絵をタイルではめこんでいます。 |
街路灯の土台となっている御影石に彫られた江戸時代の生活者。手作業で彫られているとのこと。
御影石にはめこまれていた東海道五十三次『嶋田 大井川駿岸』。
吉松 |
なかなか珍しい街路灯ですね。もしかしてシルエットやタイル、彫刻のデザインは一つひとつの街路灯で違っているんですか? |
中村 |
そうです。全部違いますね。 |
吉松 |
呉服町名店街にはいくつの街路灯が? |
綱島 |
えっと、いまは42基ですかね。 |
吉松 |
結構ありますね。でも五十三次・・・。 |
中村 |
そうなんです。五十三次なんだけどね。ちょっと欠けているんですよ(笑) |
場所によって大きさが違うのはなぜ?
吉松 |
あの、42基もある街路灯について。以前にちらっと見ながら歩いたとき、場所によって大きさが違うことに気付いたんです。これはどういうことなんでしょうか? |
中村 |
ああ、そうですね。呉服町名店街は4ブロックあるんですけども、そのうち2ブロックはアーケードの上にダウンライトが付いているんですね。でも残りの2ブロックはアーケードがないので暗いんです。 |
アーケードがあるブロックの様子。ダウンライトに加えてお店の明るさも目立つ。
アーケードのないブロックの様子。街路灯以外の明かりがほとんどない。
中村 |
だから前者には少し小さめで中に電球が2つ入ったタイプを、後者にはちょっと大きめで電球が3つ入ったタイプを取り付けています。 |
吉松 |
ブロックによって明るさが違うからですか。なるほど。 |
電球が2つ入った小さいタイプの街路灯。コンパクトでかわいらしい。
電球が3つ入った大きいタイプの街路灯。重厚感があってスタイリッシュな雰囲気。
中村 |
本数もアーケードのほうが少ないよね。 |
綱島 |
そうですね。アーケードがないブロックのほうが多くなっています。 |
吉松 |
本数も? 言われてみないと気付かないものですね。 |
綱島 |
そうですよね。ちなみに本数が違うとはいっても、通りを見渡すと「光がつながっている」という感じにはしています。 |
吉松 |
あ、そういうイメージがあるんですか。 |
中村 |
そうそう。名店街一帯を明るさで演出して、「奥まで街がありますよ」というイメージを与えたいというか。 |
「街路灯で道行く人の顔が活き活きと」
吉松 |
こちらの街路灯って結構新しいですよね。見た目もきれいですし。 |
中村 |
ええ。平成6年~7年にできましたので、20年と少しでしょうか。 |
吉松 |
・・・20年も経っていたんですか。この街路灯ができる以前、どんな街路灯を使っていたのかってわかりますかね? |
中村 |
そうですね。むかーしはアーケードの上のところに、ちょっとした街路灯がついていましたけど。 |
昭和32年の呉服町。アーケードの上のほうに街路灯がズラり。 写真提供:中村さん
吉松 |
ちょっとしたというか、だいぶ立派な街路灯ですね・・・。趣があって素敵です。 |
中村 |
そうですかね。まあ、昔だからレトロな雰囲気があるんだけど、当時もそれなりのデザインはありましたね。悪くないですよ。 |
綱島 |
ふふふ(笑) |
中村 |
むしろいまよりいいかもしれない(笑) |
吉松 |
いやいや(笑) |
中村 |
でもね、アーケードへの改修でこの街路灯はなくなりまして。いまの街路灯ができるまでは、軒のところにいわゆる水銀灯があったくらいでしたよ。 |
写真提供:中村さん
吉松 |
あら、しばらくなかったんですね。 |
中村 |
しかも水銀灯って青白い光ですよね。だから街全体が白々としていたんですよ。 |
吉松 |
白々と、ですか? |
中村 |
ええ。だからいまの街路灯を取り付けたときからずっと、暖色系の電球を使っているんですよ。そうするとまちの中が非常に明るくなった。明るくなったというか、暖かい色になったから道行く人の顔が活き活きとしたんですよ。 |
吉松 |
へー! そうですか。 |
中村 |
水銀灯のときは青白く照らされているからね。 |
吉松 |
ああ、青白い光だとシリアスな雰囲気になるというか。言ってしまえば幽霊のようというか。 |
中村 |
だからそういう雰囲気を変えた意味では、いまの街路灯をつくって大変によかったかなと思います。 |
呉服町名店街にとっての街路灯とは?
吉松 |
呉服町のみなさんにとって、街路灯はどういう存在なんでしょうか? |
綱島 |
やっぱり夜を照らしているってことで呉服町のみなさんはもちろん、この道を通るみなさんの公共物だと思うので。安心とか安全を担っている大切な存在ですよね。 |
中村 |
そうだね。だから年に1回はきちんと掃除もしていますし。あとは素材にステンレス、土台は御影石ということでずーっと長持ちする。つまり、朽ち果てないというわけです。 |
吉松 |
だから20年経ってもこんなに綺麗なんですね・・・。木製の街路灯だと維持が難しいとも言いますよね。 |
中村 |
そうなんですよね。色味などが変わる良さもありますけども。そういう意味では朽ち果てないのがいいのか悪いのかわからないけど(笑) |
綱島 |
そうですね(笑)でも最初にも言いましたけど、あと100年経ったとき、500年の節目でも変わらずに立っているといいなという想いはあります。未来へとつなぐ架け橋のような。 |
吉松 |
未来へとつなぐ架け橋・・・。だからこそ朽ち果てない素材を使っている、というわけですか。 |
綱島 |
その通りです。私たちは行灯型の街路灯に愛着を持っていますから。たとえばですけど、東京とかでお勉強をして帰ってきたときとか、夜に灯りがともっていると「あ~呉服町だな。やっぱり呉服町が一番いい街だな」って思うんですよ。 |
吉松 |
いや~・・・。そういった想いを得られる存在でもあるんですね。 |
綱島 |
自画自賛になっちゃうんですけどね(笑)まちの良さを再確認するきっかけになっている気がします。 |
静岡呉服町名店街の街路灯。江戸時代の行灯をモチーフにしてかつ、あえて朽ち果てない素材を使っているのは、「400年の歴史を持つ呉服町を未来へつなげたい」という想いから。
そんな呉服町の想いが形になった味わい深い灯りでした。
じつはこの企画、「なぜかわからないけど街路灯に心惹かれるんだよな~」と、漠然と考えていたのが全てのきっかけです。もしかするとその理由は、街路灯にまちの想いが詰まっているから、なのかもしれません。
街路灯の案内をしていただいた中村さんは、「街路灯の様子が違うのは、管理している組織が違うから」と話していました。
見過ごされがちな街路灯には、知られざるストーリーがまだまだ眠っていそうです。
「発見! 街路灯で照らす静岡のまち」連載準備中
準備中です。少々お待ちください。