東京の銀座は静岡の両替町にあった!?
現地から歴史研究家まで駆けずり回ってきた
こんにちは、miteco編集長の吉松です。
急なんですけど、東京の銀座って静岡の両替町にあったらしいですよ。
東京の銀座といえば、日本屈指の高級繁華街。国内だけでなく世界的にも知られる町です。
一方で静岡の両替町といったら、静岡市民であれば誰もが知る歓楽街。じつは歓楽街というくくりだと県内最大規模なんですが、静岡市民以外で両替町を知る人はどれだけいるでしょうか・・・。
とにかくこれほどの知名度の差があるっていう寄り道なんですが、話は戻って「東京の銀座が静岡の両替町にあった」という説について。
なにを根拠に言っているかというと、両替町を歩いているときに見つけた“とある石碑”からです。
両替町をぶらぶら歩いていたときの話
こちらが静岡県内最大規模の歓楽街「両替町」。平日の昼間なので閑散としていますが、週末の夜になると人であふれかえります。
駅のある南東方面とは反対に歩くと見えてくる、こちらも両替町です。そして商店街を抜けて真っすぐ歩いていくと・・・。
いままでと雰囲気のまったく違う景色。とはいっても、ここも両替町です。
じつは両替町は1丁目と2丁目が存在していて、それぞれの区域の間に別の町が入りこんでいるので、同じ町でも趣がまったく違うんですね。
さて本題の石碑、両替町1丁目にあります。
正面には「駿府銀座発祥の地※」、側面には「今日の東京銀座のルーツは静岡にある」と彫られたこの石碑。
周辺の喫茶店でゆっくりしようと歩いていたとき、ふと目に入って「なんだこれ?」と覗いてみたらこの文言です。
石碑なのでとくに疑う余地もないんですが、「東京銀座のルーツは静岡にある」と急に知ってもまったく腑に落ちませんでした。
仮に「菅田将暉のルーツは吉松京介にある」って言われたときくらい腑に落ちない気がします。僕はもちろんですけど、菅田将暉ファンは絶対に納得しませんよね。だいたいそういうことです。
石碑には、「慶長十七年(一六一二)駿府の銀座は江戸に移された」とも彫られています。そして「もしかすると銀座にも同じように石碑があるかも・・・」と思ってネットで調べてみたら案の定。
東京の銀座2丁目にも両替町と同じような石碑が建立されているそうです。
行くしかありませんね。
※駿府:かつて現在の静岡県静岡市葵区に作られていた地域のこと。
東京の銀座で調査してみた結果
やってまいりました。石碑でいうところの「東京銀座」です。場所でいうと東京メトロの銀座駅付近。銀座4丁目ですね。
さすが国内屈指の繁華街というか、両替町と同じく平日の昼間に撮影しているんですけど、人と車の通りが違いすぎる。建物の数と高さも段違いです。
ぶらっと歩いてみましたが、どこまでいっても高層ビルと高級ブランドだらけ。正直、これで「ルーツは静岡にある」って言われてもな~と思うわけです。
目的地の銀座2丁目です。情報を得ているとはいっても、インターネットの情報なので半信半疑でしたが・・・。
すぐ見つかりました。ティファニー銀座本店の目の前にあります。
内容が小難しいので要約すると、
「慶長17年(1612)に徳川幕府はここに銀座役所を置いた。当時は新両替町と呼んでいたけど、通称は銀座町だったよ。明治2年にやっと銀座が町名になったから発表するね」
という感じです。
銀座の石碑には「静岡がルーツ」なんて明記されていません。
でも「慶長17年に移された(両替町)」「慶長17年に置いた(銀座)」の共通点はあります。「新両替町」というのも気になる。「静岡の両替町から移された⇒新両替町」とすればかなり筋が通ります。
東京まで来て確信に至ろうと思ったのに、逆に謎だらけになってしまいました。
・・・ここまできたら仕方ない。
静岡県に戻って専門家に直撃!
専門家を頼ります。
写真提供:とある専門家
やってきたのは静岡県島田市川根町の「承雲荘」。とある専門家の別荘&ゲストハウスです。以前、編集部の山口がお話しを伺った静岡大学の小二田教授からご紹介いただきました。
その専門家とは、黒澤脩さん。静岡市役所にて38年間(委託を含めると40年)勤め上げ、静岡市歴史専門官や静岡市駿府城天守閣等関連史料主席調査員などを歴任された歴史研究家です。
黒澤脩
静岡県歴史研究家。静岡市歴史専門官、静岡市駿府城天守閣等関連史料主席調査員、静岡県立大学非常勤講師、静岡市教育委員会事務局参与など多数の経歴を持つ。駿府城天守閣等の調査では5年間で世界600個所を回った。
東京の銀座は静岡の両替町に・・・?
吉松 |
さっそく本題なんですが、「東京の銀座が静岡の両替町にあった」っていうのは本当ですか? |
黒澤 |
うん。本当もなにも当然のことだね。厳密に言うと、「駿府(いまの静岡市)の両替町にあった銀座が東京に移った」というわけだけど。 |
吉松 |
・・・無知すぎて恐縮です。本当なんですね。いったいどういう歴史があるんですか? |
黒澤 |
まずね、いくつかの前提から話すけど、銀座というのは江戸幕府が置いた銀貨を作る役所のこと。両替町は金銀を売買する両替屋がたくさんいるから、と付けられた駿府の町名なんだよ。ちなみに両替町はいまでいう銀行街だね。 |
吉松 |
は~そうなんですか。 |
黒澤 |
それで徳川家康が駿府(現在の静岡市葵区)に城下町を作ったのは慶長12年(1607年)。同時期に伏見(京都)から駿府の両替町に銀座を持ってきて、駿府銀座がスタート。それから慶長17年(1612年)に駿府銀座を江戸に移転させたんだ。 |
吉松 |
「伏見⇒駿府⇒江戸」の順に銀座は移っていったと(現代に直すと「京都⇒静岡⇒東京」の順)。 |
黒澤 |
移転した理由は、家康が駿府大御所時代(隠居した将軍の敬称)の終わりを意識したから。周辺整理のために大御所の陣営を江戸に戻していって、その流れで銀座もいまの東京銀座に移したんだ。当時、銀座を移した江戸の町は「新両替町2丁目」と呼ばれていたね。 |
吉松 |
あ、それ銀座の石碑に書いてありました。通称は銀座町だったとも。 |
江戸銀座の様子。 史料提供:黒澤脩
吉松 |
・・・でもなんで、新両替町2丁目と銀座のふたつの名があったんですか? |
黒澤 |
あのね、駿府銀座は駿府の両替町にあったんだ。区域でいうと昔の「両替町2丁目」。それでも銀貨を作っている場所ということで、両替町2丁目を銀座と呼ぶ人もいた。じつは、駿府でも両方の名前で呼ばれていたんだよ。 |
吉松 |
移される前からふたつの名前があったんですか。 |
黒澤 |
だから江戸にいったときにも、本来の町名をもとにした「新両替町2丁目」と、通称の「銀座」が同時に使われていた。ところが結局は銀座って言うほうがわかりやすいから、通称の銀座が町名になっちゃうんだな。まあ、「新両替町2丁目」に関しては、出所が駿府なのかどうか明確ではないんだけどね。 |
吉松 |
なるほど・・・。めちゃくちゃスッキリしました。 |
銀座だけでなくあの町も駿府が発祥だった
黒澤 |
まあ、正直ね、「銀座は両替町にあった」ということを話しているけど、発祥の歴史を辿ると「新宿」や「元浅草」とかもそうなんだし、キリがないよ(笑) |
吉松 |
え、ちょっと待ってください。新宿や元浅草まで、静岡というか駿府が発祥なんですか。 |
黒澤 |
そうだよ。家康が江戸の町を作るにあたっては、駿府を下敷きにしたんだから。銀座に関しても本当は伏見がルーツといってもいいんだけど、駿府の街並みが下敷きだから駿府がルーツですよ。 |
吉松 |
うそ・・・。恥ずかしながらまったく知りませんでした。 |
駿府の街並みが下敷きというのは、地図だけでもわかる歴史的な事実だそうで。
両替町(マップ上)と銀座(マップ下)を並べてみたんですが、やっぱり区画が似ているんですよね。横長の土地が整然と並んでいるというか。
「どこもこんな区画じゃないの?」という疑問については、銀座の大元、京都府の伏見区の区画を見てみてください。
伏見では土地の形が場所によって違うんですよ。意外と区画って地域の特性が現れるようです。
ということで調査の結果、「今日の東京銀座のルーツは静岡にある」どころか、「東京の町そのものが静岡ルーツ」との結論が出てしまいました。
あらかじめ言っておきたいのは、発祥が静岡だから東京よりも偉いとか、そういうことはまったく考えていません。
そんなことよりも、もし静岡市のことを説明する場面に出くわしたとして、みなさんはどう説明するでしょうか? ありがちな「なにもないからな~」という回答には、あまりにもったいない歴史が静岡市には詰まっています。
県民みなさん、あるいは市民のみなさんが静岡市を説明するときに、ひとつの知識として使っていただけたらな~。なんて思っているところで、失礼いたします!