掛川市には名作デザインがズラり!
資生堂企業資料館で知る商品とデザイン
こんにちは。ライターのIMANOです。愛知県名古屋市で生まれ、大学進学をきっかけに浜松に来ました。大学ではデザインを勉強していて、とくにポスターやロゴマークといった、グラフィックデザインの世界が大好きです。
みなさんは、掛川市に「資生堂企業資料館」があるのをご存じですか? 資生堂というと日本を代表する世界的な化粧品ブランドですよね。ここには資生堂の広告や商品パッケージなどの貴重な資料がズラッと展示されていて、デザインを学ぶ僕にとっては垂涎もののミュージアム。
でも銀座で創業した資生堂が、いったいなぜ掛川に資料館・・・? ということで、資生堂企業資料館の館長、石井光学さんにお話しを伺ってきました!
なぜ掛川市に資生堂企業資料館を?
IMANO | 資生堂といえば、やはり「創業地の銀座」というイメージが強いのですが、なぜ掛川に資料館を開館したのですか? |
石井さん | 資生堂の製品を作る工場が掛川にあったことがきっかけですね。1975年に掛川工場が設立されてから掛川という地域とのお付き合いがはじまりました。
その3年後の1978年にはアートハウスが開館します。その土地ならではのランドスケープ※を活かし、自然と一体化した郊外型のミュージアムがこの当時から注目されていたんですね。
資生堂でも掛川工場の土地を活かしつつ、自然と一体化した美術館を、ということでできたんです。 |
IMANO | なるほど。 |
石井さん | もともと、アートハウスには美術品と企業資料の両方を収蔵していたのですが、手狭になったこと、そして企業資料だけを一元的に収蔵する場所が求められるようになりまして。
資生堂が創業120周年を迎えた1992年に、記念事業の一環として現在の資生堂企業資料館が建てられました。 |
IMANO | 以前から何度か伺ったことがあるのですが、今回あらためて訪れて、とても気持ちのいい環境だなと感じました。ランドスケープというお話しをいただきましたが、まさに意識された点だったのですね。 |
資生堂企業資料館の敷地は周囲を山に囲まれていて、資生堂ガーデン掛川という化粧品に使用される植物原料の素材となる植物の一部を栽培する小さな庭園もあります。石井さんも「緑に包まれた自然豊かな景観が魅力」と話していました。
※ランドスケープ:景観のこと。都市計画や美術館では周囲の景観との兼ね合いを考えることも一般的です。
地元の人にも愛されるアートスポット
IMANO | どんな方が来館されるのですか? |
石井さん | 地元の方から団体客のツアーの方、そしてクリエイティブ関係の学生やお仕事の方と性別、年齢問わず訪れています。また社員も研修の場として使っていて、新入社員はもちろん、ある程度ベテランになってからも来る機会は多いですね。 |
IMANO | 地元の方も来られるとは素敵ですね。 |
石井さん | アートハウスとセットでご来館してくれます。たとえばリピーターのなかには、資生堂のCMだけを半日かけて見ていかれる方もいらっしゃいますよ。 |
資生堂ならではのデザインに圧倒!
展示フロアにてご案内をいただきました。1階は商品パッケージやその時代を象徴する資料など立体物を中心に、140年以上の歴史を知ることができる常設展示フロアです。2階では歴代の広告やポスターなどグラフィック作品を中心に、資生堂のデザインに触れることができます。
IMANO | なかなか実物では見られないものがたくさんあって、圧倒されますね! |
石井さん | 資料館には商品から社内の提案書まで、約20万点の収蔵があります。そのうち、2,000点が展示されているんですが、これでも1%くらいしかお見せできていないのです。 |
はじめにご紹介いただいたのは、石井さんおすすめの「ソーダファウンテン」。
石井さん | 資生堂は日本初の洋風調剤薬局として創業したのですが、創業者の福原有信が視察に行ったアメリカのドラッグストアでこういったソーダ水の製造機を見つけて、大変な衝撃を受けたんですね。
それで、自分の薬局にも入れたいとアメリカから同じものを輸入しました。やがてこれがレストランの形態に代わり、現在の資生堂パーラー※につながる原点ともいえるものです。 |
※資生堂パーラー:資生堂が運営する洋食レストラン(本店は銀座)。洋菓子などの販売もおこなう。
ソーダファウンテンには、いかにもアメリカン!なコップも置いてありました。これも、創業者がこだわってアメリカから取り寄せたそうです。資生堂のさまざまなルーツが詰まった展示品でした。
資生堂の広告や商品デザインは、日本を代表するグラフィックデザイナーによって生み出され続けており、資生堂の歴史は日本のデザインの歴史と言っても過言ではありません。
石井さんも、数ある企業ミュージアムと比較してもデザインやクリエイティビティをより意識しているのが特徴と話してくれました。
石井さん | 創業者の息子(三男)として跡を継ぐのが初代社長の福原信三です。彼はもともと芸術家志望だったことからデザインを重視しており、自分の想いを具現化するために事業の中心を薬から化粧品にシフトしました。
「商品の芸術化」という言葉を唱えた彼は、化粧品という消費財をひとつの工芸作品のレベルまで昇華させたいという思いがありました。 |
IMANO | きれいな色が特徴的で、古さを感じさせないモダンなデザインが素敵です。 |
石井さん | はい。彼が社長としてまず取り組んだのが、「試験室」と「意匠部」の設置です。試験室はいまの研究所にあたり、いわば「サイエンス」。
そして意匠部はいまの宣伝・デザイン部にあたり、言うなら「アート」です。つまり、サイエンスとアートが資生堂のモノづくりのキーになっています。
具体的には「サイエンス」は品質で、「アート」はパッケージデザインですが、このふたつの分野を融合した固有の価値が商品へのアプローチで重要だと考えてきました。 |
IMANO | そういった商品への姿勢がいままで受け継がれていて、守り続けている重要な部分なのですね。 |
石井さん | そうですね、こういった志や質へのこだわりが初代社長の就任時から行われていることが、まさに資生堂というブランドを創ってきたと思います。 |
そのほかにも、タイポマニアには嬉しい資生堂書体※の拡大展示や、資生堂の関連する雑誌・新聞広告がズラッと並ぶ2階など、見どころがたくさんありました。
過去の広告を見ながら、「あーこれみたことある!」なんてお話している方も。じっくり見てたら日が暮れてしまったので、みなさんはぜひ時間に余裕を持って訪ねてみては?
※資生堂書体:資生堂独自の和文(漢字)フォントのこと。資生堂の美意識を象徴するデザインのひとつでもあり、新人デザイナーは入社後手書きで習得しながら、現在まで伝承されています。