静岡大学 小二田教授とネタの宝庫「静岡」
20年以上歩き回って発見した魅力
こんにちは、編集部の山口です。早いもので10月。mitecoが始まってからすでに1か月となりました。
もともと「静岡はとってもいいところ!」をもっと発信したい!
と思って立ち上げたローカルメディアですが、1か月が経って気づいたことがあります。
あれ? 全国的に見て本当にいいところなの?
・・・と、思っていたところ、僕の記事をシェアしてくれた方のなかに「小二田誠二」という方がいました。
Facebookをのぞかせていただくと、なんと静岡大学の教授の方。しかも、安藤社長と知り合いらしい。
安藤 | ああ。小二田教授は、中学生のころにたまたま知り合って。そこから親交がある方だよ。もし、話したかったら連絡取ろうか? |
山口 | ぜひ! お願いします。 |
吉松に引き続き、優しい社長の粋な計らいによって、静岡大学の教授へ取材ができることに。
研究室じゃなかった小二田教授との取材場所
そして当日、静岡大学へと向かいます。
山口 | あらためてですけど、静岡大学の教授さんなんですね。 |
安藤 | そうだよ(笑) |
山口 | めっちゃ緊張してきました・・・。 |
安藤 | まぁ、フランクな人だから大丈夫だよ。 |
大学に着くと、すぐに小二田教授が登場。
小二田 誠二教授
静岡大学人文社会科学部 言語文化学科教授
千葉県出身の日本文学研究者の先生。1990年より講師として静岡大学へ。1993年より静岡大学の助教授に就任し、その後は教授となり、20年以上同大学で教鞭をふるうベテラン先生。江戸から日本近代を中心に、文学から民俗学、歴史学と多彩なアプローチで著書も複数持つすごい方。
山口 | (と、とりあえず名刺を) |
小二田教授 | いやぁ、はじめまして。小二田です。山口くんと会うのは初めてだけど、記事は読んでるよ。興味深くて面白いね。 |
めっちゃフランク!
一言でほとばしる“いい人”感! 小二田教授の気づかいかもしれませんが、僕の記事の話をしていただけたことで緊張がほぐれました。
山口 | では、これから研究室で取材ですかね・・・? |
小二田教授 | いや、いまから小島(静岡市清水区小島町)に行こうよ。じつはちょっとした用事があって。 |
へ? 僕はてっきり研究室での取材になるのかと思っていました。でも、小島へと向かう道すがら、お話をうかがえるようです。
山口 | な、なるほど。かしこまりました。それではいざ小島へいかん。 |
テンパった結果、なぞの古語を発しつつ小島へ向かうことに。
小島は日本書紀にも関係あった!?
静岡大学を離れてからの道中、小二田教授にお話をうかがっていると、フィールドワーク※を主体に研究を進めていることがわかってきました。
そういえば、Facebookのコメントでもそのことについて触れられていたなぁ。
※研究室にこもって本を読んで・・・という研究ではなく、実際に現地に足を運んで聞き込みや資料の調査をおこなう研究手法のことです。
山口 | しかし、どうして小島なんですか? |
小二田教授 | じつはいま、小島はかなり興味を持っているエリアなんだ。いくつかのテーマもあって取り組もうかと考えている最中。 |
山口 | なるほど、それはどういったテーマなんですか? |
小二田教授 | そのうちのひとつは山口くんにもなじみのあるテーマで、「舎人親王」※の墓があるっていうやつなんだ。 |
山口 | 舎人親王っていうと・・・、あ、日本書紀の編さん者ですね! |
舎人親王(とねりしんのう)
奈良時代に活躍した皇族の方。日本書紀の編纂を行っただけでなく、朝廷でもかなりの権力を持っていたことでも知られています。
山口 | ・・・でも、皇族の方のお墓が静岡にあることなんてあるんですか? |
小二田教授 | ま、ほぼありえないよね(笑) |
山口 | ですよね(笑) |
小二田教授 | でも、それがおもしろいんだ。「事実は小説よりも奇なり」とは言い得て妙で、小島藩に舎人親王のお墓があると言い出したのは江戸の人らしい。なんでそんなこと言い出したのか気になるじゃない。
どう考えたって、奈良時代の皇族がここに墓を建てるとは思いづらいし、まわりに由緒があるものもそんなにはないわけだし。
と思って研究した人がいるんだけど、資料があまり残っていない。もともと地方というのもあるけれど、江戸時代にその人自身が尊王思想※だと言われて、「残しておけない」と書物が処分されてしまったのも大きな原因なんだ。
そこで、もしかしたら当地には残っているんじゃないかな、って小島に向かうところ 。 |
山口 | なるほど。 |
※尊王思想:幕府ではなく朝廷に重きを置く考え方のことで、江戸時代には反乱分子として扱われました。
いろいろが眠っている静岡を歩く楽しさ
こんな話をしているうちに、小島に到着。案内されたのは舎人親王の墓ではなく「小島陣屋跡」でした。
山口 | 陣屋跡とは・・・? |
小二田教授 | 陣屋というのはごく簡単に言ってしまえば、お城のことだね。ただ、小島はもともと小島藩という藩だったんだけど、あまり大きな石高※を持ってなかったからお城はなかったんだ。その代わりに陣屋があった。
で、この石垣は当時のものがそのまま現存していて、貴重な資料なんだ。
地元の文化財を守る会の皆さんが熱心に保存活動をしたり、陣屋跡に生えていた草木をきれいにしてくれたりして、小島陣屋跡も研究もしているところ。 |
※石高:その土地のお米の生産性を表すもの。1万石以上ないとお城が建てられなかったそうです。
山口 | 日本文学や歴史の先生と聞いていたので、てっきり書物を調べることがほとんどなのではないかと考えていました。でも、フィールドワークをされることも多いんですか? |
小二田教授 | いまはどちらかといえば、フィールドワークが主体なくらい(笑)
地元の人に話を聞くと新たな発見ができるからやりがいあるよね。 |
山口 | へぇー。では、静岡という場所の魅力というか、楽しさはなんでしょう? |
小二田教授 | たとえば、これは清水港の話なんだけれど。静岡県って、缶詰の生産量が日本一ってことは知ってる? |
山口 | あー。それは社会科の授業でやったような気がします。 |
小二田教授 | で、その缶詰には商品名やイメージがついたラベルが貼られているでしょ? あれを作っている印刷屋さんって、もともと茶箱のラベルを作っていた人たちなんだよね。
で、そういう人が清水のあたりにはたくさん住んでいたんだけど、その理由はわかる? |
山口 | んー。加工工場が多いからその近くのほうが便利で・・・? でも、そもそもなんで清水で、缶詰生産が盛んになったのかがわかりません。 |
小二田教授 | 明治維新で文明開化が起こると印刷技術が輸入されてきた。そうなると、だんだん江戸でも浮世絵や手書きの絵を作っていた職人さんは仕事がなくなってきてしまう。
で、どうなったかというと、そういったラベル製造にかかわるようになっていくんだ。清水港は、もともと駿府の徳川家のおひざ元にある港でもあり、お茶の生産地に近かったので、お茶の輸出でにぎわった。それで、ここに職人さんが集まるようになったんだ。
で、お茶の輸出が減ったあと、マグロやカツオ、あるいは蜜柑などの缶詰が沢山輸出されるようになった。
地元の方々はなかなか知らないことも多いのだけれど、静岡にはこんなエピソードがゴロゴロ転がっているから、本当に歩き甲斐があるよね。 |
山口 | ぜんぜん知らなかったです・・・。 |
小二田教授 | そう。確かに歴史の教科書では取り上げられないようなことかもしれないけれど、そういうのが現代の文化や経済に根付いているようなケースもあるんだ。
地元の人たちとそういう話もするのも楽しいよ。フィールドワークで話した方が思い出してくれることもよいことだなぁとも思う。 |
山口 | 確かにそうですね。僕もものすごく興味が湧きました。 |
小二田教授 | だから、そういった当時の資料や話が見つかったときというのは本当に嬉しいし、静岡であればどんどん発見が続く。
20年以上静岡で研究しているけれど、まだ離れる気にはならないかな(笑) |
小島で小二田教授と散策しながらお話しを伺いましたが、とにかく話しているときの教授は楽しそうに話していたのが印象的。研究をしている方ですから、その内容を話すことが楽しいと感じるのかもしれませんが、僕からすれば静岡の魅力を語っているようなものでした。
夢中にさせるネタがあるのかと驚くことやタメになるような話の連続に、「やっぱり静岡はどんどん発信するべきが話題が山ほどあるなぁ」と感じます。
でも、今回の取材、じつはこれだけでは終わりませんでした。僕たちは陣屋跡を離れたあと、最後の目的地へと向かうことになります。そこには、歴史的な価値の高い「あるもの」があって、それが元でつながった地元の人がいるとのこと。
そして、小二田教授のフィールドワークはときに、地域振興にも深くかかわる活動にもなっているようです。