波乱万丈な「金座ボタニカ」の歴史を巡る
社員寮から廃墟を経てアーティストロフトへ

  • posted.2016/09/26
  • 吉松京介
  • Hatena 0
波乱万丈な「金座ボタニカ」の歴史を巡る 社員寮から廃墟を経てアーティストロフトへ

静岡県葵区金座町。江戸幕府による初期の貨幣、「慶長小判」を鋳造していたことに由来する町です。

そんな金座の名を冠した「金座ボタニカ」は、金座町の隣にある研屋町にひっそりと佇むアーティストロフト。アーティストとクリエイターの長屋であり、主にはシェアオフィスとして活用されています。

でもここはもとを辿ると、かつて静岡の商取引を支えた三菱商事の社員寮。その役目を終え廃墟と化していたところを、最低限の改修で再生させていまに至るという、波乱万丈な歴史を辿っているようです。

 社員寮と廃墟の名残が色濃い

botanica_01

社員寮から廃墟、そしてアーティストロフトへと再生した――。その成り立ちに興味を抱いて現地へ。もちろん事前に連絡していて、金座ボタニカの代表を務める下山晶子さん(以下、下山さん)に説明していただけることになっています。

・・・それにしても、ベランダにツタが無造作に絡まっていて、廃墟の名残を感じる。

botanica_02

入口には金座ボタニカの表札と、緑で生い茂った木々たち。赤い謎の物体は屋根代わり・・・?

botanica_03

中に入れば、当時の時代背景をバシバシと感じるシャンデリアがお出迎え。

吉松吉松 空気感が独特すぎて、ちょっと上りづらいな・・・。

botanica_04

雰囲気を感じつつ階段を上ってみると、社員寮だったことを思い出させるロッカーに、年季の入ったインテリア。

吉松吉松 この先に「Salon de Botanica」があるらしいけど・・・。

※Salon de Botanica:入居者に開放しているサロンスペース。食事や打ち合わせなどに使う。外部にも貸出をしていて、イベントなども開催できる。ここでお話しを伺うことになっている。

botanica_05

吉松吉松 これは・・・。

個性の強いインテリアばかりなのに、見事にまとまっている空間。個人的にはこういうところかなり好み。

しばらくすると、下山さんが来てくださいました。

 三菱商事社員寮が廃れるまで

botanica_06金座ボタニカ 代表 下山さん

下山下山 さて、どこからお話しましょうか。
吉松吉松 かつての三菱商事の社員寮が廃墟に。それからアーティストロフトに再生した。ここまでの経緯から教えていただけますか?
下山下山 そうですね。まずここは親が所有しているんですよ。実家の土地です。親のビジネスは食品卸だったんですけど、その大きな取引先が三菱商事でした。

 

そんな縁故もありまして、私は三菱商事に務めていて。東京ですけどね。そのなかで、田中角栄さんの政権で日本列島改造論という政策が始まり、土建屋と政治が結びつきはじめるんです。

吉松吉松 ・・・そうするとなにが起こるんでしょうか。
下山下山 清水港に木材を水揚げすることが増えて、静岡市に人員が必要になってくるんですよ。ここで三菱商事が静岡に社員寮を作りたいって話をし始めるんですね。

 

私は親の土地が余っていることを知っていましたから、ちょっと親に話してみれば、トントン拍子で静岡支店長さんにつながりまして。あっという間にここに社員寮を建ててしまいました。

 

いまから40年前くらいでしょうか。以上が三菱商事の社員寮ができるまでのお話しです。

botanica_07室内にはいたるところにアートが。サロンスペースの中に入ってしまえば社員寮の面影は見当たらない。

吉松吉松 でもそれが廃墟になってしまうと。
下山下山 そう。でも廃墟になるのはもう少しあと。社員寮が廃れてしまうのが先です。建ってから5年もしないうちでしたね。

 

これは日本が経済大国になって、一人ひとりの賃金が上がったのが原因のひとつです。賃金が上がると、商取引は日本以外でやったほうが得になるんですよね。そこで清水港を介した商取引の存在意義が失われていきます。

 

またこれは別の話ですが、同じ時期に新幹線の本数が増えまして、日帰りで足を運べば十分だろうという場所にもなってしまうんです。

吉松吉松 いろんな変化が重なっていますね。
下山下山 まとめると交通網の充実と、産業の世界的な変革。つまり、これで社員寮が御用無しになるんですよ。

 

ただし言っておきたいのは、ここは三菱商事の社員のために建てたところで、建設主は当時の三菱建設。ですから、なかなかしっかりとした作りなんですよ。3.11の前に静岡でも地震がありましたけど、ほとんど揺れませんでした。

吉松吉松 しっかりとした作り、ですか・・・?
下山下山 まあ、なにが言いたいかっていうと、ここは金融街として栄えたことも踏まえまして、大変に地盤がいいところでございます。

 

じつは経緯の説明に加えて、いいところに建っているっていうのがボタニカの宣伝で――。ってあれ、蚊に刺されちゃった。蚊いない? 大丈夫ですか?

吉松吉松 僕は大丈夫ですよ(笑)

アーティストロフトへの出発

botanica_08並んでいる作品はここに訪れたアーティストが置いていったものばかりだとか。

吉松吉松 社員寮が御用無しになってから、アーティストロフトになったのは?
下山下山 やろうと動き始めたのはいまから10年前。当時は親がほったらかしていたので、まさに廃墟でした。そしたら親がもう誰も使わないし、壊そうかと言ってきたんです。

 

でも私は先ほどいったように、金融街として栄えた土地柄に加えて、災害とかに屈さないところだと思っていまして。

 

さらには高度経済成長期の古いものを壊して、新しいものを作っていく時代を見ていると、その結果として「かっこよくなくなっている」という感覚を持っていたんですね。

吉松吉松 だから壊すのをやめて、自分でなにかやってみよう、ってことですか。
下山下山 そうですね。すでに東京では、銀座の古いビルや秋葉原の小学校を再活用する、みたいな動きがありましたから。当時の静岡にはそういうことを民間でやっているところがなかったので、それなら私がやってみようっていうのもありましたね。
吉松吉松 この段階でどのように使うかという構想は決まっていたんですか?
下山下山 いやーどうしようかと思っていましたね。

 

でも元社員寮を活かして、不動産業をやりつつなにか不思議なものを作って、一定の付加価値をかけて専門的なことをやろうというのは考えていて。

 

そこで考えた末に、私が好きなアートとかクラフトマンシップとか、そういうものに特化した人に入居してもらったり、事業を展開したりする場所にしようかと

botanica_09こういった一つひとつのインテリアも、付加価値の一部なのかも。

吉松吉松 やってみようが先、なにをやるかは後だったんですね。
下山下山 はい。でもね、すぐには行動できませんでした。私はまだサラリーマンをしていて、そこそこ責任のあるポジションで海外出張も多かった。さらには家族もいましたので。

 

普通に考えて、こことの両立は無理ですよね。だから企業での寿命はもうこれくらいでいいかなと。でも私の寿命はまだあるから、故郷として、ビジネスとしてここをやってみようと。

吉松吉松 金座ボタニカに集中するために会社を辞めたと。
下山下山 はい。結局、会社は辞めましたね。57歳だったかな。難しい選択でしたけど。・・・ただもうひとつだけ、ここに集中しなきゃならない理由があったんですけどね。

botanica_10

アーティストロフトという、アーティストとクリエイターの長屋として再生された「金座ボタニカ」。その成り立ちには静岡市で巻き起こった、江戸時代から現代に至るまでの大きな変革が根深く絡んでいました。

静岡で生まれ育った身でない僕としては、一つひとつの歴史が新鮮かつ刺激的。下山さんの話を聞いていると、実際に体験したわけではないのに、まるでその時代をこの目で見ているかのようなリアリティを感じます。

さてこのお話しには、まだ続きがあります。下山さんが金座ボタニカに集中しなければならなかった理由。完成してから現在におけるアーティストロフトとしての実態。お話は過去から、いまの時代に突入します。

後編に続く。

金座ボタニカ

住所:〒420-0025 静岡県静岡市葵区研屋町25