地元の人が地元で「おまち」空間を創造する
創造舎代表が考える七間町・人宿町の姿

  • posted.2017/12/04
  • 山口拓巳
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地元の人が地元で「おまち」空間を創造する 創造舎代表が考える七間町・人宿町の姿

静岡市葵区七間町。隣町の人宿町では、いたるところで新しいビルやリノベーション物件がオープン、建設される光景が広がっています。

sozosya_032014年に新しくできた「上下水道局」の少し奥にある工事現場。七間町と昭和通りのスクランブル交差点に位置する場所です。

これは七間町を取り巻く現状を打破すべく、動き続けてきた人物によるもの。七間町名店街、副理事長の望月さんがお話してくれました。

――最近は山梨さん(キネマ館を含めた事業の代表)や、柚木さん(スノドカフェ七間町のオーナー)といった新しい人たちが町を引っ張ろうと動いてくれているんですよ。

そのなかでこうも話した望月さん。スノドカフェ七間町の柚木さんには先月お伺いし、その熱意や七間町に対する想いをお聞かせいただきました。

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今回お話を聞かせていただくのは、もう一方の中心人物。人宿町に本社を構える建築施工会社、デザインオフィス創造舎の代表である山梨洋靖(やまなしひろやす)さんです。

山梨さんが会長を務め、かつての映画館「オリオン座」を跡地利用し、七間町に賑わいをもたらしたコンテナハウス「アトサキセブン」。そして、現在創造舎が取り組む「OMACHI創造計画」では、さまざまな新しい試みをしつつ、かつて七間町のシンボルでもあった「キネマ館」の再生も進めています。

もはや建築や施工といった枠組みを飛び越えて、都市創造の領域にも踏み込んだその活動について、山梨社長に想いを語っていただきました。

おまちに移転して「心が通った町」の素晴らしさに気づいた

sozosya_101人宿町にある創造舎のオフィス。

sozosya_f1山口 創造舎さんはもともとこの地にあった会社でしょうか?
sozosya_f2 山梨 いえ、ここへは移転してきたんです。最初のオフィスは高松にありました。だからそれまでここは“おまち”でしたね。
sozosya_f1山口 いわゆる「街っ子」ではなかったんですね。山梨さんから見て、こちらへ来るまでのおまち、七間町の印象ってどうでしたか?
sozosya_f2 山梨 やっぱり「映画の町」という印象は強かったですね。僕は世代的に『タイタニック』がちょうど学生時代で、七間町へ観に行きましたね。
sozosya_f1山口 空前の大ヒットでしたものね。では、この場所には起業なさってから?
sozosya_f2 山梨 創業から数年経った2011年に、オフィスを人宿町に移転しました。自宅兼オフィスにしたので、もう公私ともに過ごす場所はこのあたりになりましたね。
sozosya_f1山口 こちらへきて、なにが変わりましたか?
sozosya_f2 山梨 うーん。それは難しいですね。でも多くの変化がありました。まず、この2011年というタイミングがいまの活動にも大きな影響を与えています
sozosya_f1山口 ちょうど東日本大震災のあった年ですね。
sozosya_f2 山梨 ひとつはそれ。地方に目を向けようみたいな機運も高まりました。そして七間町・人宿町にとって大きかったのは、オリオン座が閉館したこと。

 

さらに、映画通りの中心的役割を果たしていた静活さんが2011年10月にオープンしたセノバにシネコンとして入ることが発表。まさに、この町にとってとても大きなターニングポイントとなる時期だったんです。

※高松:静岡市駿河区にある町。オフィスを構えていたのは高松1丁目。

※オリオン座:松竹系の映画の封切館として静岡市内ではもっとも大きな映画館のひとつだった。

※静活:静活株式会社。七間町に6館9スクリーンを持っていた会社で、2011年にそのすべてを閉館。同年、新静岡セノバに「シネシティザート」としてシネマコンプレックスを開館。

sozosya_57かつて七間町のシンボルのひとつだった「オリオン座」

sozosya_f1山口 このタイミングでオフィスを移転したのは、たしかになにかあると予期しないわけにはいきませんね。
sozosya_f2 山梨 ちょうどオリオン座が閉まってすぐに私たちがきて。しかも、このオフィスは3階に無料貸し出しをしている会議スペースがあるんですが、「ここを使いたい」との申し出が七間町商店街の方からあったんです。

 

それで、「オリオン座の跡地をどう活用するか」という話し合いが七間町商店街の人、人宿町の人、自治体によっておこなわれたんですね。

sozosya_f1山口 まさに映画館が建ち並ぶ七間町からどうシフトするかの中心地に。でも、移転してまだ町のことも詳しく知らないにも関わらず、いきなりそんなディープな話では面食らってしまいそうですが・・・。
sozosya_f2 山梨 むしろ嬉しかったですね。新参者にもかかわらず、「建築やってる会社がきてくれた」ってどんどん巻き込んでくれて。こういう人たちと関わっていると、「なにかできることがあるなら」と自分の熱も高まりました。

アトサキセブンで見えた地域交流と町おこしの可能性

sozosya_27七間町にあった「アトサキラーメン」。アトサキセブンのコンテナを利用した期間限定の飲食店です。

sozosya_f1山口 スタートしたオリオン座の跡地利用。これが「アトサキセブン」へとつながる経緯は、どのようなものだったのでしょう?
sozosya_f2 山梨 跡地には結局、水道局庁舎ができると決まって、その着工日もまとまったうえで2年間のアイドリング期間があったんです。静岡市はこの2年間、跡地を七間町の人たちに貸し出してくれると言ってくれたんです。でも、もちろん大掛かりな建物は作れない。
sozosya_f1山口 それでイベントスペースという発想に?
sozosya_f2 山梨 そうです。でも、そんなことはやったことが当然なかったので、静岡市の都市計画課の人たちと一緒に、跡地利用のイベントスペースで町おこしのプロジェクトをやっていた佐賀県まで一緒に行きました。そこで、そのスペースに在ったコンテナを作った建築家の先生にも話を聞いてきたんです。
sozosya_f1山口 佐賀まで・・・! その勉強が実を結んだわけですね。
sozosya_f2 山梨 そう。跡地にコンテナ広場を作って、ここで人が集まれるイベントを開催しようと。地域のシンボルのひとつがなくなったからと、その「跡」のことばかり気にしていても仕方ない、これから「先」のことを考えようという気持ちで、自治体も商店街も一緒くたに取り組みました。

※佐賀県でやってる町おこしプロジェクト:佐賀県の「わいわい!!コンテナ」のこと。2011年の6月から翌年1月までの8か月間で延べ15,000人が利用したコンテナによる町おこしプロジェクト。2017年現在でも「わいわい!!コンテナ2」として活動継続している。

sozosya_32オリオン座跡地に登場したコンテナ「アトサキセブン」

sozosya_f1山口 コンテナハウスとしてスタートしたアトサキセブンではどんなことを?
sozosya_f2 山梨 これも町おこしと紐づいているのだからと思い、野外劇場として活用したり、夏休みに「おまち盆ダンス」の原型となるようなイベントを開催したり、ワークショップを開いたり・・・。

 

本当にいろいろなことをしましたね。コンテナに付いていたウッドデッキでは、アトサキラーメンの時期にですがサンドイッチを販売したこともありました。

3町をまたがる彩を目指した「OMACHI創造計画」

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sozosya_f1山口 そこからの活動はより発展していって、創造舎さんの「OMACHI創造計画」がスタートしていきます。
sozosya_f2 山梨 アトサキセブンで人と一緒に仕事をすることが大切で、しかもそれで町が変わることが見えてきた。それで「建築設計の仕事を活かして、創造舎でOMACHI創造計画をやろう」と思い至ります。
sozosya_f1山口 大きく動き出しましたね。
sozosya_f2 山梨 じつはこれは、七間町といったところからずれるところもあるんですが・・・。

 
ちょっとややこしいのですが、入り組むような形で人宿町と七間町はつながっていて、このオフィスは人宿町にあるんです。

 

だから、創造舎としてはアトサキセブンの活動も含めて七間町・人宿町を両方とも盛り上げたいと思いつつ、人宿町への恩返しとブランドづくりを手伝いたいという気持ちも強いです。

sozosya_11人宿町と七間町はともに旧東海道沿いに位置するエリア。OMACHI創造計画では、七間町にもビルを建てていますが、人宿町のビルの活性化も大きな目的となっています。

sozosya_f1山口 OMACHI創造計画の具体的な部分を教えてください。
sozosya_f2 山梨 プロジェクトは去年からスタートして手始めに2016年の11月、ここからすぐの場所に個室小料理屋「花咲」を建築。続けて、1階にパーソナルトレーニングジムを入れた高級感のある賃貸マンションをオープンしました。

sozosya_19個室小料理屋「花咲」。

sozosya_33創造舎の手掛けた賃貸物件。

sozosya_f2 山梨 で、七間町の通り沿いにスーパーを作って・・・。
sozosya_f1山口 怒涛の勢いですね。
sozosya_f2 山梨 たしかにハイペースですよね。ほかにもスノドカフェの近くにあった雑居ビルをリノベーションして、「SOZOSYA Mビル」をオープン。料理屋さんとアートスペース、コワーキングスペースを作りました。同時並行で創造舎オフィスから近くの場所にも築53年のビルを改装して「パラダイスビル(Paradise Bldg)」を・・・。

sozosya_132017年の夏にオープンした「SOZOSYA Mビル」。

sozosya_f1山口 リノベーションで手掛けたものも多いんですか?
sozosya_f2 山梨 OMACHI創造計画では、アトサキの考えを踏襲してかつてのものを活用という視点も持ち込んでいます。これから水道局の奥にある物件に手を入れて、壁面にアートを描くリノベーションも予定しています。

sozosya_36近くリノベーションをはじめるビル。この壁面に大きなアートが描かれる予定です。

sozosya_f1山口 一方で新築の建物も作られています。
sozosya_f2 山梨 そこは「新しいものを創り出そう」という側面を打ち出したところですね。アトサキラーメンの跡地にも、「人宿町離宮」という名前の商業ビルを来年オープン予定で、いまちょうど建築中です。そして「パラダイスビル」のはす向かいに「キネマ館」をオープン。これでOMACHI創造計画第一弾は完了となります。

sozosya_15建設中の「人宿町離宮」。2018年の春にオープン予定。

アトとイマが融合する「キネマ館」

sozosya_172018年4月オープン予定のキネマ館。かつては七間町の総合娯楽施設として賑わいを見せたシンボルでした。

sozosya_f1山口 キネマ館は七間町の歴史をたどるうえで、シンボル的な存在だったと聞いています。リノベーションといいキネマ館といい、新しい町づくりを目指す一方でかつての遺産を大切にしていますよね。
sozosya_f2 山梨 リノベーションに関しては費用の問題も含めて、「このビル、まだまだいいじゃん」っていう気持ちでやっているところもあります。
sozosya_f1山口 なるほど。
sozosya_f2 山梨 キネマ館に関しては江崎さんとの話もあって。というのも、キネマ館を建てている場所は江崎新聞店さんが創業のころから配達店として使っていた場所だったんです。だから、「ここは先代が大切にしていた場所なので譲ることは難しい」と。

 

ところが、もともと取り壊す予定はあったというので、「じゃあ、一緒に新しいものつくりませんか?」と声をかけて。それでどんなものをつくろうかと、江崎新聞さんの社史をのぞかせてもらったときに出てきたのが・・・。

sozosya_f1山口 キネマ館だったわけですね。

sozosya_16大正8年にオープンした「キネマ館」。 画像提供:七間町名店街

sozosya_f2 山梨 そう。聞いてみると、やっぱりキネマ館に対する思い入れも江崎さんにはあったんです。町のシンボルをここに復活させましょう。と話して決まりました。
sozosya_f1山口 キネマ館の復活にはそんな経緯があったんですか。
sozosya_f2 山梨 でも復活とはいえ、私たちは建物は作れても芝居小屋の芝居は作れないじゃないですか。そしたら、ちょうど劇団渡辺さんが劇場を探していて。「あ、ピースがそろった」と思いましたね。
sozosya_f1山口 こうして人宿町の活性化を考えていく最後に、七間町・人宿町の歴史を作ってきた企業さんと新しい風を吹き込もうとしている劇団がつながったというのは、なにか運命めいたものすら感じますね。
sozosya_f2 山梨 ご縁がありましたね。人でつながる“おまち”をあらためて感じます。

※江崎さん:江崎新聞店。創業1909年。中部地方を中心に新聞配達の会社として創立。「映画の町」を作り上げた静活株式会社は、同社の社長が同じく取締役を務めている。

※劇団渡辺さん:劇団渡辺。静岡市を中心に活動する劇団。2017年4月まで小劇場「七間町このみる劇場」を七間町で運営していた。

ワクワクする街づくりを地元の人が地元のもので

sozosya_29オリオン座(左手)が解体され、まだタワーマンション(右)の建っていなかったころの人宿町・七間町。これがたった数年間で見違えるほどに変化します。

sozosya_f1山口 OMACHI創造計画についてお伺いすると、もう都市計画レベルですよね。不躾な質問になってしまいますが、どうしてここまでやろうと考えたのでしょうか?
sozosya_f2 山梨 人宿町にきて、流れのなかで地元の人と助け合いながら町づくりというのを経験していくうちに、「町づくりも考えた建築会社になりたい」と考えるようになったんです。
sozosya_f1山口 地元の人が地元のために。
sozosya_f2 山梨 こうやっておかげさまで会社が成長してくると、年配の方にはやっぱり言われるんです。「次は東京支社だな」とか「むしろ東京へ本社移転か?」みたいな。たしかにバブルや高度経済成長のときってそうだったかもしれない。
sozosya_f1山口 地方から出てひと花咲かせるみたいな。
sozosya_f2 山梨 でも、いまは違いますよね。地方で安定したから向こうで花咲かすんじゃなくて、むしろ東京で仕入れた知識や技術をこっちへ取り込んでここで咲く花を探すべきだって思ったんですね。

 

そういう意味では投資をしているとも思っていて、OMACHI創造計画には自治体の助成を一切受けずにやっているんです。

sozosya_39こちらがいま(2017年12月)の姿。左手には人宿町離宮の建設現場、

sozosya_f1山口 この規模を・・・! それは驚きです。
sozosya_f2 山梨 そのうえで、OMACHI創造計画の建物に入るテナントさんも、「チェーンではなく、個人オーナーでカラーを持っている方に入ってもらいたいな」と思っているんです。そういう人たちが集まった場所であればなにか起きるんじゃないか、っていう期待を込めて。
sozosya_f1山口 人と人でリンクしている町を作りたいということですか。
sozosya_f2 山梨 そう考えた甲斐あってか、やっぱり血が通った、人の息遣いがする場所になってきたと思います。ビルのオーナーさんもお店の人も、その町に住む人も協力しあって町を作る環境ができたらいいなと。

 

インフラ面では僕がきちんとしてあげたい。だから第1弾で終わりなのではなく、今後も継続して人宿町や七間町をもっと楽しくしていきたいと考えています。

sozosya_f1山口 ここまで聞いてきて、その熱意が町を動かしているんだなとあらためて感じます。
sozosya_f2 山梨 究極を言うと、これはちょっと臭く聞こえるけど、「静岡が好き」だからやっているんです。とくに、このエリア「人宿町・七間町」というところにはとても愛着を持っています。

 

落下傘で降ってきたような自分を受け入れて、一緒になにか取り組めるように提案をくれる。そんな下町感がすごい好きなんです。ワクワクする町だよなって。東海道があって昔からの息遣いが感じられるんです。

七間町の未来を辿る特集後半戦