3.11からの人々の暮らしを映し出した『息の跡』
静岡市出身の映画監督「小森はるか」インタビュー
みなさんこんにちは。miteco編集部の山口です。本日は静岡シネ・ギャラリーからお送りします。
映画の連載やイベントの会場として、mitecoではおなじみの施設となってきている同館。今回紹介するのは、ここの運営に携わっている方ではありません。
じつは、ある映画監督さんの取材をするために訪れているところです。その監督さんの名前は「小森はるか」さん。近年の映画界で話題となった作品『息の跡』の監督で、静岡市出身の映画監督です。
どうしてmitecoがこの方を取り上げるのか。それは監督が静岡出身というだけでなく、ある理由があります。ぜひ、最後までお付き合いください。
震災復興をある視点から追いかけ続けた『息の跡』
映画『息の跡』の舞台は、2011年に起きた東日本大震災で大きな津波被害を受けた岩手県陸前高田市。震災後の復興が進むなか、たったひとりで経営を再開した種屋さん「佐藤たね屋」を、約3年半(2013年1月~2016年9月)も追いかけ続けたドキュメンタリー作品です。
隔年に開催され、国内有数の規模を誇るドキュメンタリー映画祭「山形国際ドキュメンタリー映画祭」にて、2015年に公開したところ大きな反響があり、2017年からはミニシアターを中心に全国で上映が開始されました。
本作品の主人公「佐藤貞一」さん。被災後ご自身で小屋を建て種屋さんを再開した方。
この映画は震災を扱っていますが、カメラマンでありインタビュアーでもある小森監督と、インタビュイーであり主役の佐藤貞一さんが何気なく交わす会話の空気感は、まるでそこに震災を感じさせないほど温かくて、ありふれているもの。
でも、会話に現れる言葉や佐藤さんが時折切り出す、震災についての話は、どうしようもない怒りや悲しみがこもったものでもありました。その言葉にならない重みを、あえて日本語ではない外国語を使い、手記として自費出版をする佐藤さん。
「俺は種屋だ」と言いつつも決して少なくない資金を投入して、懸命にその記憶を、想いを残そうと活動する彼の姿が描き出されます。
劇中では地元のお祭りをはじめ、徐々に復興へと歩み出す町の姿も描き出されます。
『息の跡』では震災時の映像は一切使われない。なのにどうしようもなく感じられる3.11の気配に、僕はそこはかとない恐怖を感じました。一方で佐藤さんやその周り、そして小森監督自身が当たり前のように「はじめよう」としている姿にじんわりと温かくなったんです。
震災映画というイメージとは、まるで正反対の「温かさ」を感じる映画。お涙頂戴な感動作ではなく「当たり前」に裏打ちされたドラマを目の当たりにして、感動せずにはいられませんでした。
こんなに素敵な作品があって、しかも監督は僕とほとんど歳の変わらない方。同じように静岡市で生まれ育った方がそれを作ったとは・・・。
僕は作品ができた経緯はもちろん、この空気感を作り出す小森監督自身はどういった方なのか、とても気になりました。
「私はこんなに役に立たないでいいのか?」と感じた「あの日」
小森監督(以下、小森さん)は、静岡市出身で大学進学を機に上京。東日本大震災「3.11」をきっかけに岩手県へと移住し、現在は仙台市に拠点を置きながら、記録を受け渡すための表現をつくる組織「NOOK」に所属しています。
最初は普通のボランティアとして被災した地域を訪れたという小森さんですが、なにをきっかけにカメラを持つようになったのでしょう?
山口 | 今日はお忙しいなか、取材をさせていただきありがとうございます。『息の跡』を観たあとは震えるくらい感動したので、とてつもなく緊張しています。 |
小森 | いえいえ。そんな(笑)恐れ多いです。今日はよろしくお願いします。 |
山口 | では、はじめに小森さんが東北へと足を運んだきっかけについてお伺いしたいです。 |
小森 | はじめて訪れたのは2011年です。当時、東京に住んでいたのですが3.11に遭遇して・・・。進学先の大学から大学院へと進むときの春休みでした。卒業式も入学式も自粛で中止となり、テレビやネットの情報を通して「世の中で大変なことが起こっている」ということを実感しました。 |
山口 | 僕は浜松に住んでいたので、揺れ自体はそこまででもなかったのですが、東京はかなり激しかったと聞きます。帰宅難民も出たし・・・。 |
小森 | そうでしたね。毎日被害の状況が更新されていき、見たこともない非常事態がすぐそこで起きているという事実に衝撃を受けました。私は卒業式も入学式も中止で、ちょうどバイトもしていなくて時間もあったんです。
「私はこんなに役に立たないままでいいのか?」と・・・。いままでそんなこと思ったこともなかったんですが。 |
山口 | それで実際に現地へ行くことに? |
小森 | そうです。すごく単純な動機ですよね。 |
山口 | そのときは自身の制作活動の場になることは考えていたんですか? |
小森 | いえ、まったくですね。のちに一緒に活動することになる大学の友人、瀬尾夏美※さんと物資を買い込んで東北に向かって、各市町村で開設されていたボランティアセンターを訪ねながら、ボランティア活動を始めました。 |
※瀬尾夏美:画家、作家。「小森はるか+瀬尾夏美」の名で小森さんと共にアートユニットとして活動。一般社団法人NOOK代表理事。
「なにかを残す」ことをきっかけに
山口 | そこから岩手県へと移住をするんですよね。ボランティア活動はどれくらい続けられたんですか? |
小森 | ボランティア自体は数ヶ月でしたが、その後月に1回くらいのペースで、東京から東北に約1年ほど通っていました。はじめは東京から近い場所でボランティアをしようと出発したのですが、そこからだんだん北上していって、青森から福島までさまざまな地域を訪ねるようになっていきました。 |
山口 | あ、では、陸前高田市(『息の跡』の舞台。東日本大震災で発生した津波で大きな被害を受けた地域のひとつ)だけでなくさまざまなところへ足を運んだんですね。実際に被災地へ行ってみてどうでしたか? |
小森 | テレビで見て想像していたよりはるかに広い範囲で、津波の襲った風景が続いていることに驚きました。でも、ボランティアをしにいったけれど、実際にどこまで役に立っていたか・・・。というのも、やっぱり災害復興となると、瓦礫を撤去したり、救援物資を運び込んだりと力仕事がどうしても多くて。
現地には、それこそ大工さんの経験を持つ方もボランティアとしてたくさん来ていました。だから、私たちは救援物資を振り分けたりするお手伝いがほとんどだったんです。 |
山口 | 役に立たないなんてことは絶対になかったと思いますが・・・。でも、いずれにせよボランティアとしての活動。そこからさらに制作に入るわけですが、そのきっかけはなんでしょう? |
小森 | ひとつ、大事なきっかけになったのは、岩手県の宮古市という県北部にある町の避難所でボランティアをしていたときのことなんですが、その時にあるおばあさんとお話をしたんです。 |
小森 | 「あなたたち美大生なんだって? だったらカメラを持っていない?」と聞かれたんです。その方は宮古市に嫁いできた方なんですが、故郷はもっと北の名前も知らなかった小さな集落で、そこの情報はテレビでもラジオでも地元の新聞でさえも情報が入ってこないと。 |
山口 | 3.11での被災地の情報は完全に洪水してしまっていましたよね・・・。 |
小森 | そうなんです。その集落は「壊滅した」と耳にしていたけれど、自分で足を運ぶことも難しく、もし本当に壊滅状態であれば精神的にも耐えられるか・・・。だから、そこの写真を撮ってきてほしいと頼まれたんです。
そこではじめて「誰かの代わりに見て記録する」という役割があるんじゃないかと思うようになりました。 |
山口 | 誰かの代わりに記録する・・・。 |
小森 | 「それがあなたたちがやるべきことじゃないの」と教えてもらったような気がして・・・。ハッとしました。
そこから、ボランティア活動をしながら、訪れた町の風景を撮影したり、出会った方たちとの何気ない日常会話を記録することをはじめました。 |
山口 | じゃあ、それが制作の原点になるんですね。 |
小森 | ひとつの原点だと思います。でも、この時はあくまでも「記録しておく」までで、その後映画制作をするとは考えてはいなかったんですよね。本当に他愛のない会話、空気を、いつの日か誰かが観て、それを必要とするときがくるのではないか、と感じてやっていたことだったんです。 |
陸前高田市への移住と佐藤さんとの出会い
山口 | 小森さんはその後、『息の跡』の制作にあたってはかなり長い期間、佐藤さんのもとへ訪れます。当然、移住が必要になると思うのですが、活動をしていくうちに移り住むことを考えるようになったんでしょうか? |
小森 | 「記録をしよう」と思っても、通うだけでは現実の流れに追いつけないような気持ちもあって。震災から1年くらいしたころに、瀬尾と一緒に陸前高田市へと移住をしました。
・・・あ、正確には陸前高田市に隣接した内陸部の住田町というところに住んでいたのですが・・・。 |
山口 | ・・・えっと、それは住む場所が・・・。 |
小森 | なかったんです。 |
劇中に出てくる陸前高田市の様子。こちらは2016年以後の景色ですから、当時はもっと状況がひどかったということがわかります。
小森 | その当時は、陸前高田では借りれる家がなくて、住田町から毎日通うことになるんですけど、いまにして思うとあの距離が記録者としての「心の距離」を保つために重要だったな、と。 |
山口 | 距離。ですか・・・。たしかに被災者側に近づきすぎてしまうのは、記録するのには危ういところもあるかもしれませんね。 |
山口 | そこから佐藤さんに出会うわけですが、このきっかけはなんだったんでしょう? |
小森 | 「英語で手記を書いている種屋さんがいるんだよ」と地元の方に教えてもらって、取材というよりは単純にお会いしてみたいという興味から佐藤さんの店を訪ねたんです。
その後、半年ほどお話をしていくなかで、佐藤さんの日常を記録したいと思って撮影のお願いをしました。 |
山口 | 第一印象っていうのはいまでも覚えていらっしゃいますか? |
小森 | お店は通り沿いにあったので、お会いする以前にも見かけていて・・・。 |
山口 | ご自身で「なにもないところから建てた」というお話しでしたね。畑なんかも含めて・・・なんというか、奇抜だなあと。 |
小森 | そうですね(笑)私も、ちょっと変わった店だなあと思っていました。実際に佐藤さんにお会いして、とてもエネルギッシュな方なんだけど、人のあたたかさを感じて、私はその人柄に惹かれました。映画のままなんですよ。 |
山口 | 観ればわかるというか、とにかく独特だけどユーモアもあって、本当にお会いしたら楽しい時間が過ごせるだろうなあというか。そういう空気を感じました。 |
大切にしたのは「現実でいま起きていること」
劇中より。机の右下には震災手記についてのポスターが貼られています。
山口 | 『息の跡』、取材前に拝見させていただいたのですが、作品を観ているときに、ものすごく不思議な感じがして。というのも、客観的な視点が欠けているわけではないのに、撮り手であり監督でもある小森さんがものすごく近く感じたんです。正直に言うといい意味で裏切られました。
こういってはなんなんですが、作品全体に漂う空気自体は「ほのぼの」としたものだと思ったんです。これは、なにか意図的にしたことだったんですか? |
小森 | うーん。そうですね。まず意識したのは「自分の存在をできる限り感じさせないこと」でした。取材者が画面に映りこんでくるような撮影方法は、あまり好まなかったんです。
でも、佐藤さんとお話をして撮影をしていくうちに、それよりもいかに「現実でいま起きていること」へカメラを持って追いつけるか、柔軟に反応できるかということが重要じゃないかと感じるようになって、そこからは佐藤さんの行動に反応しながらカメラを回すことを意識的にしました。 |
本当に何気ない描写の後ろには重機。「震災」と「日常」が織り交ざった作品です。
山口 | そうだったんですね。「震災ドキュメンタリー」といわれて想像するものとは正反対の作品だったな、とあらためて感じます。でも、東日本大震災の苦しみやそこで頑張る方のエネルギーがないかといえば全然、そんなことはなくて・・・。
たぶんこの作品では、小森さんと佐藤さんのおふたりの仲のよさというか、ある種の信頼関係のうえに成り立っているものなんじゃないか。だからこそ、すごく内側まで迫れていて、でも外にも「伝わる」作品になっているんだと思うんですよ。 |
小森 | 編集作業※をするうえで、「ふたりの関係性を起点に、佐藤さんらしさが見えてくるようにつくれたら」と考えていたので、そう感じていただけたのは嬉しいですね。
また、震災をただの悲劇にしてしまうのは違うと思っていて。それはいまも大切にしていることなんですが、「記録して残す」うえで、今わたしが目の前で見ている現実を信じることが、とても重要だと感じています。それは震災の「悲劇」に隠れて見えづらくなっている、一人ひとりの暮らしでもあります。 |
山口 | 一人ひとり・・・。たとえば、佐藤さんの手記に関する部分のみに強くフォーカスした映画でなく、生活にあるものを映すというイメージでしょうか? ある種、「震災に立ち向かう人」みたいなステレオタイプのテーマ性は違うというか。 |
小森 | 陸前高田に住んで出会うことができた、いろいろな方のそれぞれの暮らし方こそ、わたしにとって、大きな災害を前にしてなによりも信じられるものでした。佐藤さんはたしかに他の人には真似できないような特別な活動をしているかもしれない。
けれど、それは佐藤さんの生活のなかで行われている営みのひとつですから、そこを切り離して残すのは違うと思いました。 |
山口 | こんなこというのはものすごく恐れ多いのですが、僕たちも「静岡のいまを伝えよう」と活動していくなかで、「アーカイブ」というのはひとつのキーワードだと思っていて。
その人やモノ・コトの背景にある言葉や気持ちも含めて記事にして形にして残す。いつかの未来にそれが活かされて誰かに届いて、ちょっとでも感じてくれる人がいたらすごく嬉しいな、って想いもあります。
『息の跡』は、それこそそういう気持ちやテーマが強く表れていると思いましたし、願わくば、本当に多くの方に観ていただきたいな、って素直に思ったんですよ。それで、前夜祭で上映させていただきたいって川口さん(静岡シネ・ギャラリー副支配人)とお話しして。 |
小森 | ありがとうございます。こういう形で地元に戻ってきて上映する機会が得られたのは、よかったなあと。ぜひ、いろいろな方に観ていただきたいので、私自身も楽しみですね。 |
miteco前夜祭で『息の跡』を先行上映します!
冒頭でお話しした「あるきっかけ」。じつは、これ「mitecoまつり2017の前夜祭で『息の跡』を上映する」ということなんです。静岡シネ・ギャラリーの川口さんから「震災のドキュメンタリー作品」という話もいただいていたので、「それはちょっと重いのでは・・・」と感じたのですが、観てみるとそんな不安は杞憂だったとすぐにわかりました。
「同世代で静岡出身の方が制作したのだとすれば、mitecoとしてはぜひ取り上げたい。そのうえで前夜祭での上映をさせていただけるのなら!」と観終わったあとにすぐに川口さんへ連絡しました。
現在、東京をはじめとして全国で上映がはじまっていますが、静岡ではまだ未上映。じつは静岡県内で『息の跡』が上映されるのは、「mitecoまつり2017」の前夜祭が最初なんです。こんな素晴らしい作品の上映に、少しでも携わることができてとても光栄に思っています。
前夜祭は、9月30日の本祭の1日前、19:00より開始。上映後は再びmiteco編集部の山口をインタビュアーに、小森はるか監督とともに公開インタビュー形式での舞台挨拶を行います。
今回の記事では、ネタバレをしたくなかったので、あえて作品の深い部分には触れていませんが、こちらのインタビューでは実際の撮影時のことや現在の活動も含めて、いろいろなお話をお伺いしようと考えています!
mitecoまつり2017 前夜祭
開催日:2017年9月29日(金)
時間:19:00より
チケットの購入について:静岡シネ・ギャラリーほか、miteco編集部でも予約を承ります。
お問い合わせについては、こちらよりご連絡いただけますと幸いです。
- 一般販売:¥1,400
- シネ・ギャラリー会員:¥1,100
- mitecoまつりチケット:2枚(¥1,000)
※mitecoまつりのチケットは、3・5・7・10枚綴りでの販売いたします。