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2019.05.17

城山中の由来・持舟城

COLUMN

- 2019.05.17 - NONE

城山中の由来・持舟城

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※5/15~5/17で、城山中学校の生徒さんが職場体験に来てくれました。この記事は生徒さんが書いてくれた記事です。

 

僕が通っている学校の由来となっている持舟城跡を知っていますか?

持舟城跡は地域の方に親しみを込めて城山さんと言われています。


この城は駿河の国司、今川氏が砦として造った城で天正十年、武田家臣が入っていましたが、徳川氏が攻め込んできたので、武田氏は甲斐に逃げ帰り以後は廃城になってしまったとても短命な城です。


持舟城の役割は水門を設けて船を浮かべた水軍の拠点でした。また、城下町には沼地が広がっており、攻防戦が多かったこの持舟城と運命を共にした城兵の人数は数百におよんだと言われています。

文献によると、持舟城の門の形は虎口が使われていて攻めも守りにも好都合でした。虎口は「こぐち」とも「ここう」とも読むことができ、それぞれ意味が違います。「こぐち」とは城の出入口のことで狭いという意味です。「ここう」とは戦場や陣地の危険な所という意味になります。

持舟城跡からの景色は用宗を一望することができ、静岡市街や伊豆半島まで見渡すことができます。運が良ければ富士山もきれいに見る事ができて、とてもオススメです。


この記事を読んでもし興味持って頂けたら足を運んでみて下さい。

 

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