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COLUMN

- 2020.03.01 - OTHER

たった1セッションの尊さを映画シンドラーのリストのラストシーンを見て思う

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シンドラーのリスト

映画「シンドラーのリスト」のラストシーンで、オスカー・シンドラーがこう言います。

「もっと救い出せた。その努力をしていれば。もう少しー努力を。」

「オスカー あなたはここの1,100人を救ったんです。」

時は1939年。オスカー・シンドラーはナチス党の党員ですが、金儲けにしか目がなかった彼は、すこしずつ考え方を変え、最後には多くのユダヤ人を救います。

その数、1,100人。しかし彼は、こう続けます。

「もっと大勢をー」

「こんなに救って?」

「車を売れた。アーモンへ。この車で10人を救えたはずだ。10人だぞ。

あと10人を……このバッジで2人救えた。金だから2人は救えた。アーモンなら2人と交換した。

たとえ1人でもいい。1人救えた。人間……1人だぞ。

このバッジで……努力すればもう1人救えたのに。……しなかった。……救えたのに。」

そして彼は泣き崩れるのです。

映画シンドラーのリスト

シンドラー「人間……1人だぞ」

シンドラーが「たとえ1人でもいい。1人救えた。人間……1人だぞ。」と言う瞬間、私はいつも涙が止まらなくなります。

それまで戦時中の人間の命が極限まで軽んじられるシーンをまざまざと見せつけられ、映画を観ている私たちはだんだんと感覚が麻痺していきます。

人の命がまるで紙屑のように散り、金で簡単に生死が決まる状況。それはたった1つの金のバッジで、1人の命が救える状況なのです。

そんな中、シンドラーが放った「人間……1人だぞ」の言葉に、私は襟首を掴まれて急激に引き戻されるようにして、人間の命の重みにハッと我に返るのです。

「人間……1人だぞ」

この言葉は腹にずしりとくるほど、重たいものがあります。

たった1セッションでも「人間……1人だぞ」

1セッションを命に置き換えてしまうのは、あまりに荒唐無稽かもしれません。

しかし、私たちの心がけ次第ではWEBマーケティングにおいても、「シンドラーのリスト」に近いことが起こってしまうと思います。

それはWEBが、何でも数字に置き換えることができるデジタルの世界だからです。

セッション数、UU数、PV数といった数字の羅列で考えてしまうと、人間1人がわざわざブラウザを立ち上げてメディアに訪れたということ、ワンクリックしたということ、何かに心動かされてコンテンツをシェアしたということ。それらの意味を軽んじてしまうことがあります。

100万セッションあったら、たった1セッションの重みは軽いのでしょうか?

その1セッションは未来の顧客かもしれません。

たった1セッションを軽んじて考えてしまう。……そんなことは、あってはならないと思うのです。

「シンドラーのリスト」のラストシーンを見たあと、ふとそんなことを考えました。

シンドラー

すべてのセッションが平等というわけではない

しかし一方で、100万セッションあったら100万セッションすべてが大事。

……そう言いたいわけではありません。

人間の命とちがって、セッションには重要視すべき1セッションと、そうでない1セッションがあります。(つまり、すべてのセッションが平等なわけではないということです。)

たとえば新規会員登録が最終CVであれば、会員登録ページの1セッションは、その他のセッションと比較して非常に大きな意味があると言えます。

アクセス解析では、「どのページへのセッションなのか?」といった視点を常に持って、セッションをはじめとする数値を見極めることが大事です。

まとめ|映画「シンドラーのリスト」は必見です

コンテンツマーケティングもデジタルな視点だけで見ると、誤った判断をしてしまうことがあります。常にインターネットの向こう側に人間がいることを、忘れてはならない。私はそう思うのです。

さて、今回はこれで以上です。何かすこしでも共感していたただけたら、Facebookファンになっていただけますか?

これからも、よろしくお願いいたします。

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