たしかなつながりをインターネットで
2014年、静岡の片田舎から10人足らずのメンバーでエストリンクスを立ち上げます。25歳の時です。社名はest(最上級、たしかなを意味するestablish)+links(つながり)の英単語を組み合わせました。
この言葉の背景について、創業前に遡り少し自分の話をさせてください。僕が居場所を失った時に出会った「インターネット」と「音楽」の話です。
僕はどちらかと言えば貧しい母子家庭に生まれ育ち、閉鎖的な田舎の中学校でいじめられっ子として過ごし、高校1年生のときに母親を亡くしました。
たとえば、部活動。だいたいの小学生って分け隔てなく友だちと接するんじゃないかなと思うんですが、中学生になると多くの子に立場やグループという概念が芽生えます。中学で野球部に入ったら上下関係が存在していて、小学生からの経験者だった僕は、3年生から可愛がられるけど、2年生からいじめられるみたいなことが起きました。
段々人と話すのが苦手になったし、祖母と母親が立て続けにガンになって家庭環境がめちゃくちゃになり、学校ひいては現実が怖くなりました。
だから「天涯孤独に生きるしかない」と思っていたのですが、そういったなかでも自分のよりどころになっていた存在がインターネットと音楽です。
インターネットにある匿名掲示板には、プロ野球の話や好きな音楽の話をする人たちがいました。「学校には共通の話題で話せる人がぜんぜんいないのに世界はこんなに広いのか」と。
僕がインターネットで人とつながった原体験はここにあります。
そして、もうひとつ僕を支え続けたのは音楽です。
僕がはじめて新品のギターを買ったお店が、呉服町にあったすみや(現:すみやグッディ)です。高校1年生のときにギターを買ってからは音楽にのめりこみ、学校とアルバイト以外の時間はすべて音楽制作とバンド活動に費やしていました。
当時、多くのミュージシャンは、Myspaceという音楽SNSに自分の作品を投稿していました。僕も御多分に漏れず自作曲を投稿していたところ、アメリカのインディレーベルから声がかかり、コンピレーションアルバムですが海外でCDを出すことになりました。
結果的にプロにはなれなかったけれど音楽で海外進出もできたし、ライブや制作活動を通して友だちも増えました。
改めてインターネットでのつながりは世界を変えるかもしれないなと思い、22歳当時の僕はインターネットに可能性を感じることになります。
「インターネットが人間関係を希薄にした」
って言うじゃないですか。よく耳にする言葉だし、当たり前のように使われる言葉だとも思います。でも、現実に居場所がなかった少年時代の僕にとっては救いだったし、インターネットは、はるかに社会とのつながりを感じられる場でした。
家族が亡くなって当時はめちゃくちゃ悲しかったけど、受け入れざるを得ない現実に対して、自分は「自分で生きる」という考えを獲得しました。そして、インターネットと音楽を通してつながっていったこと。いま思うと、これが最初の「目線を変えたことで世界が変わった」経験かもしれません。
だから、「インターネットでも人と人がつながる」と信じてエストリンクスを掲げることにしました。
社会とつながるチャレンジのスタート
さて、創業当初に話を戻します。
創業当初のエストリンクスのメンバーは、全員音楽やバンド関係でつながった仲間です。元ひきこもり、会社員になったものの社内ニート、やることや目標を持っていないフリーターなど、何らかの理由で社会からはみ出したメンバーでした。
そんな友だちと、インターネットを使って、より大きく社会とつながるためにチャレンジしました。
最初の2か月は自分のお給料も払えなかったけど、なにもないからなんでも作れる。それに、めちゃくちゃ自由。